お仕置きファイル



序文 春への書簡 遠い春 校庭に吹く風 闇の重さ 旅立ち 熊野の熱い夏
 

  風はいつも渇いていた


  児童擁護施設の朝は早かった。毎朝6時に起床し、すぐにマラソン。真冬でも薄い体操着にショートパンツだ。それが終わると、部屋の掃除をしてから食事の準備、食後はすぐに食堂の掃除が待っている。
 学校が終わればまっすぐに施設に戻り、夕食の支度にかかる。それからまた掃除をしてお風呂をすませると、いつももう就寝の時間が迫っていた。
 勉強は学校以外ではしなかった。それは私だけではない。自分の時間がほとんど持てなかったこともあるが、将来の夢や希望を語る子はいなかった。勉強することに意味など見出せなかった。ただ規律という箍を嵌められることで、毎日のノルマをこなしていく窮屈なだけの日々だった。

 私は両親の顔を知らない。いつ施設に預けられたのかすらわからない。だから私にとって、この施設が子供時代の思い出のすべてだった。施設の子たちはみんな姉妹のようであり、職員は私にとっての保護者だった。親しくなった子もいたし、優しくしてくれる職員も多かった。
 でもやっと懐いた職員も、やはり保護者ではなかった。春になると頻繁に異動があり、あっさりといなくなってしまう。昨日まで仲間だと思っていた子が、突然遠い親戚や里親に引き取られたり、他の施設に行ってしまったりする。昨日まで隣に座っていた人が突然いなくなってしまう、私たちは子供の頃からそんな環境に慣れていた。職員はやはり職員でしかなかったし、仲間も姉妹ではなかった。

 中学生になると、バレーボールをやらされるようになった。監督は鬼のような人だった。他の職員は異動があっても、監督だけは施設に残り続けた。バレーボールは中学を卒業するまで、私たちに義務づけられた。
 そこでの規律はさらに厳しいものだった。練習用ユニフォームは首と腕に紺のゴムが入った白の丸首半袖シャツ、下は紺のブルマーで横に白のラインが縦に2本入ったものだった。それ以外のものは着用禁止。真冬の間は練習の合間に上だけジャージを羽織ることが許されたが、脚は一年中膝下までのソックスで、施設の外のランニングもさせられた。

 1週間に2回チームをつくって対抗戦をやらされ、負けた方はコートの外に並んで立たされた。もちろん半袖シャツにブルマー姿で、冬の夕暮れの体育館は底冷えがした。監督は、「お前たちに強い闘争心を植え付けてやる」とよく言った。
 負けたチームはそれから腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット、ブリッジなどを次々とやらされる。泣き出す子も出たが、私は泣かなかった。チーム全体の動きが悪ければ、監督責任として3年生のキャプテンにはお尻叩きの体罰が待っていた。
 新学期早々の練習では、監督の体罰が早速始まった。最初のターゲットは、続けて遅刻をした佳奈子だった。
「規律違反は許さない。お前らもよく見ておけ。佳奈子、前へ出ろ!」
 私と同じ1年生だった佳奈子は監督の怒声に震え上がり、言われるままに馬跳びの姿勢で膝に両手をつき、私たちの方に向かってブルマー姿のお尻を突き出した。監督は佳奈子の白い体操着の背中を押さえつけて、大きなしゃもじのような分厚い木の板で、お尻を叩き始めた。バシッという大きな音。しゃもじの板がブルマーのお尻を勢いよく打ちつける瞬間を、私は目の当たりにした。佳奈子の姿勢が前のめりになった。
 監督は委細構わず、背中に当てていたところの体操着をつかんで元の馬跳びの姿勢に無理やり戻し、さらに力を込めて2発目を打った。バシッ!……また体が前方につんのめる。それを力ずくで監督が後ろに引き戻す。バシッ!……私の座っていた位置からでも、佳奈子がしゃくり上げているのがはっきりとわかった。さらにバシッ! バシッ!……

「監督、やり過ぎです!」
 気がついたら、私は思わずそう叫んでいた。監督は佳奈子のお尻を打つ手を止めて振り返り、声の主が私だとわかると、睨みつけるようにして低い声で言った。
「理絵、お前か。なぜだかわかるか? お前たちが、親のいない子供たちだからだ」
 監督は私たちのお尻を叩くためにわざわざ用意した大きな板を右手に握りしめたまま、静かにコートを去っていった。佳奈子はその場にしゃがみ込み、前よりも大きくしゃくり上げた。何人かの子が駆け寄り、寄り添うようにして泣き始めた。私も初めて泣いた。その場にいたすべての子が、その時、一斉に泣いていた。

 その日から、私は監督に睨まれるようになった。私も自分の思ったことは臆せずに言い返した。監督は一応聞く耳はもっていた。でもその後に始まるレシーブ練習では、集中的に私が狙われた。続けてミスをしようものなら、すぐに呼ばれてみんなの前で馬跳びの姿勢をさせられる。そして大きなしゃもじのような分厚い板が、容赦なくブルマーのお尻に続けざまに飛んできた。
 特に規律違反の罰は、いつもお尻が腫れ上がるほどだった。その日、私は当番だった後片付けの仕方が悪いとして叱責を受けた。突き出したお尻に5発、6発。ひっぱたかれる度に息が詰まりそうになり、痺れるような熱い痛みがお尻全体を覆い始めた。でも私は泣かなかったし、ただ黙ってお尻の痛みと屈辱に耐えた。謝るつもりもなかった。それが監督には、可愛げがないと映ったらしい。
「理絵、お前にはまだまだ効き目がないみたいだな」
 バシッ! バシッ!……監督は小休止した後、またしゃもじの板の柄を強く握りしめた。
「まだ何も言うことはないんだな。ようし、わかった。強情なやつだ」
 何十発もひっぱたかれた後は座るのもつらい日が続き、お尻から黒ずんだ跡が消えるまでには一週間はかかった。

 3年生になると、私はバレーボールのキャプテンをやらされた。何かにつけて責任を負わされ、下級生の前であの馬跳びの姿勢をさせられた。例えばチームの動きが悪かったり、練習でミスが多かったりすれば、個々の生徒ではなく私が代表して叱られ、あの大きな板でお尻を叩かれた。私はそれを受け入れるようになっていった。
 監督のことは、いまでも鬼だと思う。でも妹のような下級生が泣きながらお尻を叩かれている姿を目の当たりにするくらいなら、自分が下級生の前でやられるほうがましだと思えた。監督のお尻叩きの痛みにも屈辱感にも、私にはある程度の抵抗力がついていた。監督も、そんな私の気持ちを知っていた。私にはもう、叱られ役を引き受ける覚悟ができていたのだ。
 監督はあのしゃもじのような板ばかりでなく、もっと細長い角材のような板を持ってきて、バットスイングのようにして私のお尻をひっぱたくこともあった。 いつものように馬跳びの姿勢で待っていると、後ろの方でその角材を持ち勢いよく素振りをしている監督の影が目に入った。その姿は、私には楽しそうに見えた。
 その角材の板は、私のお尻を水平なスイングで真横から打った。衝撃面は思っていた以上に幅があった。何発か、ほとんど同じ場所をひっぱたかれた。そのブルマーのお尻の真ん中あたりを両手のひらで隠すようにして、私は後輩たちの方をチラッと見て、それから監督に向かって軽く頭を下げた。もう以前のような反抗的な態度を、私はとらなくなっていた。

 後輩たちは私を気づかってくれたが、私は「これでいい、チームが悪ければキャプテンが責任を負うのは当然だ」と言って説き伏せた。対抗戦で2チームに分かれるときには、もう一方のキャプテンを佳奈子が務めた。佳奈子のチームが負ければ、佳奈子がその責めを一身に負った。
 私と佳奈子の間では、私たちが後輩を庇おうという合意ができていた。佳奈子はいまでも、お尻叩きの罰があまりにきついと涙ぐむことがある。後輩を庇いたい一心なんだな、私は佳奈子がいじらしかった。
 私の場合は、少し違っていた気がする。監督が好きとか嫌いとか、そんな話じゃない。規律は守らなければいけない、自分はその規律に罰を受けているのであって、これは躾なんだ、うまく言えないけどそんな気がしていた。大げさに言えば、罰を決めるのは法律であって、裁判官はその法律に則って職務を遂行しているみたいな。そんなふうに思うと、厳しいお尻叩きの体罰も受け入れることができた。厳しくても規律は規律、それを犯した自分が悪いのだと。

 職員さんのこんな言葉も、私の気持ちを少し変えてくれるきっかけになった。
「監督はねえ、嫌われ役を引き受けているのよ。社会に出れば、優しい人ばかりじゃない。理不尽なこともいろいろあるわ。貴女たちはもう何年かしたら、荒海の中に出ていくのよ」
 私が姉のように慕っていたこの職員さんは、もうすぐ寿退職で遠くの町へ行ってしまうことが決まっていた。
 私には、人の優しさが素直に信じられなくなっていた。職員さんの優しさ、それは仕事なのだ。遠いところから見守ってくれるかもしれないけど、それが私にとって、どんな力になるの? やっぱり自分が強くなるしかない。強くなって理不尽な現実と戦うしかないんだわ。そんなことを考えていると、監督がいままでとは少し違う姿で見えるようになってきていた。

 施設では高校生になると、一気に規律が緩くなる。本人の自主性が大幅に与えられ、茶髪にミニスカート、ルーズソックスで私も佳奈子も登校した。
 授業中に鏡を見ながらこっそりお化粧したり、放課後にカラオケボックスに行ったり。常時アルバイトをしている以外は、普通の高校生と同じだった。そして、あの厳しいバレーボールからも解放されていた。
 あっという間にひたすら楽しかった1学期が終わり、夏休みがきた。佳奈子はバイトでお金を貯めて遊ぶことしか考えていなかった。でも私の気持ちは、少し違っていた。檻の中から見えた綺麗な花園は、いざ檻を離れてその場に立ってみると、それほど素敵じゃなかった。そのとき、私の脳裏に浮かんだのは、厳しいお尻叩きを監督から受けたとき、涙を流して抱きついてきてくれた施設の後輩たちの姿だった。私はある日の夕方、久しぶりにバレーコートに行く決心を固めた。

 私は後輩たちに見つからないように、コートの陰にしばらく立っていた。私を真っ先に見つけたのは、監督だった。
「おっ、理絵か? どうした?」
 背後から、聞き覚えのある声がした。
「監督、もう3年間、ここでバレーをやらせてください」
 監督は絶句した。無理もない。好きでやっている子など、一人もいないはずなのに。
「だって、お前、部活であるだろ」
「部活じゃなくて、ここでやりたいんです」
 私は即答した。
「お前は……前から少し、変わった子だと思っていたよ」
「そうですか?」
「だってお前、わざわざ俺んとこじゃなくても」
「監督、何て言えばいいんだろう。わたし、優しさが信じられないんです」
 監督は黙っていた。
「姉のように慕っていた職員さんは寿退職されたし、中学卒業の日までわたしを見届けてくれたのは、監督じゃないですか」
「お前が続けたいと言うなら、拒む理由は何もない。でも特別扱いは、一切なしだぞ」
「はい!」
 私は監督の眼を見据えてきっぱりと答えた。
「よし、次の練習から来い。いいか、お前が言い出したんだぞ、自分の言葉に責任をとれ」
 私はうなずいた。

「理絵、本気? そりゃ後輩思いの理絵の気持ちはわかるけどさ。でもさ、理絵が戻ったからって、監督がみんなに優しくなるわけじゃないしさ」
「違うんだよ、佳奈子、これはわたしの問題」
 佳奈子はとても納得がいかないという表情だった。
「佳奈子……頑張れよ」
 私はそう言い残すと、まだ呆気にとられている佳奈子を置いてファストフードの店を出た。いけない、急がないと、初日から練習に遅刻しちゃうわ。

 私はあの中学時代の汗が染み込んだ半袖シャツに袖を通し、はきなれたブルマーにはきかえると、再びバレーコートに立った。懐かしい顔がいっぱいあった。私を見るみんなの眼がキラキラとしている。私は再び監督からキャプテンに指名された。監督の座っていた椅子の横には、あの大きなしゃもじのような木の板が置かれていた。私がその木の板をボーッと眺めていると、早速監督の怒声が飛んできた。
「理絵! もう練習は始まってるぞ。イエローカードだな」
「はい!」
 いけないいけない、初日からお仕置きされちゃう。私は我に返って少しブルマー直しをしてから、後輩たちの上げたボールを追った。     







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