お仕置きファイル



序文 春への書簡 遠い春 校庭に吹く風 闇の重さ 旅立ち 熊野の熱い夏
 

  私のプライベートボックス


 私が3年間を過ごしたその女子高は、中国地方の山間にあった。いまにして思うと、私は入学当初からかなり目立っていたんだと思う。入学して早々の放課後のことだった。私は部活の顧問でもあり、生徒指導担当だった数学のK先生にいきなり廊下で呼び止められた。そしてその場で、スカート丈の短さと色つきのリップクリームの使用を注意された。
 じつは私は中学3年間を首都圏で過ごし、この春引っ越してきたばかりだった。田舎の空気は閉鎖的で、なにか窮屈だった。学校にしても同じことが言えた。中学のときに平気だったことが、なんで高校生になったらいけないのよ。その瞬間のムカッとした思いが、つい口をついて出てしまった。
「なんであんたの言うこときかなきゃいけないのよ」
 私は自分で自分の言葉に驚いた。私はいままで決して反抗的な生徒ではなかったし、先生のことを「あんた」呼ばわりしたことなんて一度もなかったのに。
「おまえが夏紀だな。田舎の学校だと甘くみるなよ。おまえのことはよーく覚えておこう」
 K先生はそう言うと立ち去った。私はいやーな予感がしていた。私は実質転校生。おとなしかった私の中学時代を知る子は誰もいない。ここでなら、私はまったく別人格の私になれる。というか、別人格となった私が、すでにこの時、始動を始めていたのだった。

 その数日後、K先生の数学の授業があった。K先生は授業の最後にその日のおさらいとして、章末の練習問題を解かせるために3人の生徒を指名した。その中に、私の名が含まれていた。やっぱりなと思った。でも私がむかついたのは、一番最後に指名された私の問題がどう見てもいちばん難しそうだったからだ。チェッ、嫌がらせしやがって。2人の生徒が前の黒板に正答を書き上げると、K先生は満足そうにしていた。
「夏紀、おまえの番だ」
 私はK先生からチョークを受け取った。解き方が浮かばない。というより、まだむかついていて平常心になれない。
「夏紀! 今日の授業、ちゃんと聞いてたのか?」
 聞いてたわよ! 私はK先生にそう言い返す代わりに、黙ったままチョークを床に放り投げた。教室が急に凍り付いたようになった。
「拾いなさい」
 K先生が低い声で言った。私は黙って足元を見つめていた。
「聞こえないのか? チョークを拾いなさい」
 K先生の言葉の語尾が高くなった。その数秒後、K先生は自分の左腕で私の右腕をつかむと、無理やりに黒板の桟のところにつかせた。黒板を目の前にして、私はK先生や他の生徒にお尻を向ける格好になった。その姿勢のままK先生は教卓の上にあった大きなコンパスの先を右手に取って、私のお尻に思い切り振り下ろしたのだ。バシッ!
「痛ぇ」
 K先生は左手のひらで私の背中を黒板に押しつけるようにして、さらに続けざまにコンパスを振るった。バシッ、バシッ。
「痛ぇったら!」
 7、8発、フルスイングでお尻をひっぱたかれた。
「チョークを拾いなさい」
 K先生がもとの静かな声で言った。私は両手のひらを熱くなったお尻に当てて、そっとK先生の方を見た。凄く怖かった。K先生の眼は、おまえをここから絶対逃がさないぞ、謝る以外におまえに道はないんだ、そう語っている気がしたのだ。ここが引き際だった。私はチョークを黙って拾ってK先生に渡した。
「そう。初めからそうしてればよかったんだぞ」
 K先生はみるみる穏やかな表情になってそう言うと、私の頭を右手で荒っぽく撫でた。教室の空気がホッと緩んで、笑い声も起こった。私はそのまま自分の席に返された。

「夏紀、可愛いじゃん。お尻ぺんぺんされたと思ったら、頭ナデナデって」
「そう、夏紀可愛かったよ。全然やんちゃじゃないじゃん」
 授業の後の短い休み時間、私は隣の席の子たちに冷やかされた。
「チキショー、ガキ扱いしやがって。覚えてろ」
 私はそう毒づいてみたが、後の祭りだった。なんだかK先生にうまく丸め込まれた気がして、それがよけいに悔しかった。私は心の中で、K先生に密かに宣戦布告を誓っていた。

 それから1週間が過ぎたやはり数学の授業でのことだった。私はK先生に宿題の答えを前の黒板に書くように指名されて、宿題をやってこなかったのがばれてしまった。
「なんであたしだけ? 他にも忘れた子、いっぱいいるじゃん」
「俺はおまえが宿題を忘れてきたことを問題にしてるんだ」
 K先生にそう言い返されて教卓の横のところに両手をつかされて、大きな木の三角定規で3発お尻をひっぱたかれた。その日は他の生徒も何人か指名されて、忘れたのがばれた子はやはり三角定規でひっぱたかれた。でも他の子は口答えしなかったので、みんな1発で済んだ。

 その頃から、私と、K先生に目をつけられた数人の子は、放課後の生徒指導室に呼ばれるようになった。そこではK先生と2人だけ、気まずくてとても長く感じられるお仕置きの時間だ。
 お仕置きはお尻叩きを中心に、お説教や正座もセットになっていた。遅刻や忘れ物を繰り返したとか、校則違反の格好とか、理由はいろいろあった。でも生徒指導室に放課後わざわざ呼ばれるのは、口の利き方とかで一度でもK先生に反抗的な態度をとった子だった。なかでも私は一度や二度ではないので、集中的に呼ばれた。

 1学期の頃は、竹刀でのお尻叩きの他に股もスカートの上から叩かれることがあった。それが2学期になってからは、ケツバットと呼ばれる棒状の道具を使ったお尻叩きばかりになった。私は生徒指導室に呼ばれた他の子に聞いた。1学期にはビンタされた子もいたらしいが、2学期になってからは、やはりみんなケツバットしかされていないという。
「ビンタや股叩きはどうしても嫌だって、泣きながら訴えた子が何人もいたらしいよ」
 一人の子がそう言った。それでどんな体罰なら我慢できるのかK先生がその子たちに聞くと、全員が「ケツバット」と答えたという。いちばんの理由は、お尻なら跡が残っても隠せるからだと。
 もちろんケツバットもお説教や正座とはセットになっていて、私の場合、正座の後には必ずケツバットが待っていた。「ああ、この後ケツバットだな」と思うと正座していても気が重かった。

 生徒指導室にはいつしか、いろんなお仕置き道具が増えていった。竹刀から始まり木刀、竹箒、プラスチックの靴べらなど、いったいどこから探してくるんだろうと思うくらいだった。それらはいずれも「ケツバット」の名にふさわしい、長い棒状のものだった。それらの道具を目にしただけでも、私たちが震え上がるだけの効果はあった。
 そこは校舎の真ん中にぽっかりと空いた異界だった。その異界に私は真っ先に堕ちた。そして生徒指導室の常連だった私は、それらのお仕置き道具の洗礼をすべて受けた。

 2年になると、生徒指導室ではスカートを脱がされて、ブルマー姿にならなければいけなくなった。スカートの下にブルマーをはく習慣を流行らせたのは私だ。K先生の他にも、教室で生徒のお尻を叩く先生は何人かいた。そこで少しでもお尻の痛みが和らぐようにと思いついた。それに叩かれる道具によってはスカートがまくれてしまうことがある。いくら女子高とはいえ、お尻を思い切りひっぱたかれたうえに、他の子に下着まで見られるのは恥ずかしすぎて我慢できなかった。
 K先生は、もうどの生徒もスカートの下にブルマーをはいているのを知っていた。襞のあるスカートの下にさらにブルマーをはくのと、薄いブルマーの上からひっぱたかれるのでは痛みが全然違った。それにスカートだと、正座のときに足を崩してもばれないことがある。ブルマーだと正座も誤魔化しがきかない。生徒指導室でのお仕置きはよりきつく、屈辱的になった。その代わり教室とか公の場では、スカートとブルマーで多少はお尻の痛みを緩和することができた。
 生徒指導室には、私たちがお尻を突き出せるように椅子が用意されていた。上はブラウスのまま裾を結んで、下はブルマー姿になってその椅子の座面に両手をつかされ、ケツバットをひたすら受ける。その姿勢に疲れてくると、今度は壁に両手をつかされてまたお尻を突き出す。お説教→スカートを脱いでブルマー姿で正座→ケツバット→またお説教というのが、私の場合与えられたお仕置きのサイクルだった。時間はお尻叩きがだいたい30分から小休止を挟むと1時間、お説教と正座を含めると2、3時間だったと思う。お尻をさすりながら生徒指導室を出ると、もう日はいつもとっぷりと暮れていた。

 当時、私が意地になっていたことが一つある。どんなにお尻が痛くてたとえ腫れ上がっても、絶対に泣かないと。それがK先生の目には意固地に映ったのかもしれない。歯を食いしばってお尻叩きに耐え、腫れ上がったお尻で再び辛い正座、またお尻叩きとこれでもかとやられても、私は泣かなかった。痣は2、3週間残っていて、ときどきお尻の皮膚が裂けて下着に血が滲んでいることもあった。そんなときのお風呂はきつかった。前のお仕置きの痣がまだ残っていて、そこをまたお構いなしにひっぱたかれたりもした。
 生徒指導室には何人かの子が同時に呼び出されることもあった。そういうときは順番待ちになる。廊下でお仕置きの順番を待っていると、部屋の中からお尻を叩かれる音、生徒のすすり泣く声が聞こえてくる。それはほんとうに嫌な時間だった。でも他の子はみんな泣いて素直に謝っていたので、私のときと比べると時間もずっと短かった。それでもお仕置きが終わったときには、他の子もみんなお尻が腫れ上がっていたという。
 K先生は私の可愛くない態度がきっと面白くなくて、それでしつこく私のお尻をひっぱたいたんだな。他の子のお仕置きの様子を外から聞いていて、私はそう思った。それでも意地っ張りな私の性格は変わらなかった。

 いまになって思うことがある。私とK先生は長い間、チキンレースをしていたのではないかと。私はいつもK先生に挑発的な態度をとり続けて校則違反を繰り返したし、K先生はそんな私に応えるようにこれでもかと厳しくて屈辱的な体罰を私に与えた。でも越えてはいけない一線があることは私もわかっていた。K先生も正座とケツバット以外の、私にとってほんとに我慢できないお仕置きはしなかった。越えてはいけない一線を見やりながら、私はその中で精いっぱいつっぱり、K先生もそれに応じた。
 じつは他の生徒と並んで生徒指導室の外でお仕置きの順番を待っているとき、部屋の中のことがとても気になっていた。そこはK先生とお仕置きを受ける生徒の2人だけの世界。私はそれを想像して、ちょっと嫉妬のようなものを感じていた。私があんなに頑なに意地をはったのは、私がK先生を独り占めしておきたかったからだった。ほんとうは、私だけは他の生徒より少しでも長く指導室にいたかったんだと思う。他の生徒が5発ケツバットされるなら、私は10発ひっぱたかれてもいい。だって、私、K先生の前ではほんと悪い子だもん。私とK先生は一本の糸で繋がっていると私は信じていた。その見えない糸を確かめるために、私はK先生を挑発してお仕置きを受けるしかなかったのだ。

「おまえはどっちがいいんだ? ビンタか? ケツバットか?」
「もちろんケツバットの方がいいよ」
 ある日K先生にそう聞かれたとき、私は即座に答えた。
 でもケツバットの場合、やられる先生によって女子生徒の受ける印象は全然違う。エロ親父みたいなキモイ先生の前でお尻を突き出すのはもう屈辱的で最悪。友達の中学時代の体験だと、「いい音だ」とか「いい尻してる」とかセクハラ発言を平気でしたり、叩く前に棒をお尻に軽く当てる程度ならともかく、撫でるようにしてからひっぱたく先生もいたという。もう早く叩いてよといつも思ったそうだ。
 でも好感の持てる先生なら、ビンタは悲しいし落ち込むけどケツバットはそれほど嫌じゃない。お尻を突き出すのも、自分が悪いことをしたんだからしかたないと納得する気にもなれるし。痛さからいえば、しばらく息ができないほどメチャクチャ痛いけど。K先生についていえば、すごく格好いいというほどではないけど、清潔感があって私には許容範囲だった。
 先生の方からしても、お尻なら安全なので手加減しなくてきつい罰を与えられる。痛いし恥ずかしいしそこそこ屈辱感もある。それに平手打ちはまずいけど、棒で叩くならセクハラにもならない。女子生徒への体罰としては、ケツバットがいちばん有効だと考えていたのはK先生だけではなく、私の高校では多数派だった。

 私が停学処分を受けたのは、2年の2学期のことだった。私の高校では停学になっても登校しなければならない。あの生徒指導室で反省文を書かされ、正座してK先生のお説教を受けて、それからいよいよケツバットだ。そのときは、同じ飲酒をした同級生2人と一緒だった。
 このときのケツバットはハンパじゃなかった。順番に一人ずつあの椅子に両手をつかされてブルマー姿のお尻を突き出す。両斜め後ろから、正座姿で恐怖の眼差しを注いでいる他の2人の前で、バシッ、バシッとお尻がうなり声をあげる。やっぱり私のお尻がいちばん長い時間、いちばん大きな音をたてていたと思う。3人で腫れ上がったお尻をさすりながら、なんとか許されて帰宅した。
 2年生の時は、呼ばれない月もあったけど、多い月だと3回も生徒指導室に呼ばれた。その頃から、学校での体罰が世間で問題になり始めた。3年になると、教室とか、みんなの見える場所ではケツバットはされなくなった。体罰問題がうちの学校でも職員室などで取り上げられるようになっていた。でも生徒指導室には、相変わらず私は呼ばれ続けていた。

 高3の終わり、もう単位も取れていて、あとは卒業するだけになった。私はもう学校には行かなくていいものと思い込んでいた。ところがある日、K先生から電話がかかってきた。
「なぜ学校に来ない? いますぐ来い」
 たとえ単位を取り終わっていても、定期的に学校には顔を出さなければいけない、私はその決まりを忘れていた。
 私が学校に行くのを愚図っていると、K先生はわざわざ私の家まで来て、私を学校に連れていった。それから生徒指導室に連れていかれ、まず正座。それからあの椅子に両手をつかされて、たっぷりとケツバットを受けて、またお説教。やっと帰宅を許されたときは、いつものようにもう日が暮れていた。
 規則を破ったとはいえ、正直この日は、ここまで怒られるほどのことかと思った。あの最後のお仕置きは、K先生の私への思い出づくりのような気がした。別れの季節はいやでもやってきた。

 私は卒業してからは一度もK先生に会っていない。電話ではよくお話ししたが。会えばK先生に対して,恋愛感情がわく気がした。自惚れていると思われるかもしれないが、恋愛関係にもなってしまうように思われた。
 私は高校3年間の生徒指導室でのK先生との思い出を、私だけのプライベートボックスにしまっておきたかった。ひたすらK先生に叱られ、お尻に痛い思いをし続けたあの日々、でもそれがいまは懐かしくてたまらない。
 ときどきその小箱に秘密のキーを差し込んで、セピア色のポートレートのいくつかを眺めてみる。妙に甘くて、切なくて、胸がキリキリと痛む。
 そこではいつもK先生は生徒に妥協しない厳しい先生で、ちょっと格好よくて、私は16、7の小生意気な娘であり続けられる。この物語に続編はいらない。

 東京での4年目の生活も、秋を迎えていた。もうここでの就職も決まり、卒論の支度にとりかかっていた。事ある毎にK先生につっかかっていたあのやんちゃな小娘も、少しずつ大人への階段を上り始めていた。
 その卒論にも目処がついた10月の静かな夜、K先生の突然の訃報が私の耳に届いた。下宿の2階の窓からは澄んだ夜の闇と、まあるいスプーンのような月が見えた。私は積まれた参考書の上にうつぶせに頭を乗せて、蛍光灯の光の下でいつまでも泣いた。     







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