お仕置きファイル



序文 春への書簡 遠い春 校庭に吹く風 闇の重さ 旅立ち 熊野の熱い夏
 

  あの夏はまだ終わっていない


「陽子! また平均点取れなかったな。おまえも前へ出ろ!」
 塾講師の怒声が狭い教室に響いた。
「はい!」
 私は条件反射的に返事をすると、細長い前の黒板の、空いている一番右のスペースに向かった。真ん中と左側には、すでに女の子が2人立っていた。私たち3人は3回続けて小テストの平均点を下回ったことで、これから講師にお仕置きを受けるのだ。
 塾での体罰は珍しいことではなかった。特に私たちの通う塾は関西方面では伝統もあり規模も大きく、スパルタ指導が売りだった。それを覚悟して皆選抜クラスに入ってきたのだ。
 講師は木製の1メートル定規で軽くスイングをしてから、一番左端の女の子の後ろに立った。この塾定番の、ケツ定規というお仕置きだ。バシーンという定規がスカートのお尻に勢いよく当たる音が、狭い教室にひときわ大きく響いた。もう1回バシーンという音がした。私は覚悟を決めた。黒板の桟のところをしっかりと両手で握り、少しお尻を突き出した。バシーン。
 ひっぱたかれたお尻の真ん中に左手の甲を当てて振り向こうとすると、講師に呼び止められた。
「おまえは今日、遅刻してきたからもう一発だ」
 しかたなく、そのまま黒板を見つめていた。後ろで誰かの笑い声がする。男の子だわ。もういいや、恥も外聞もないわよ。私はさっきより深くお尻を突き出した。
「よし、いい覚悟だ」
 バシーン。1発目よりさらにきついフルスイングの一撃だった。当たった場所もほとんど同じ。席に戻ると、隣のナオキが私の方に顔を向けて言った。
「痛かっただろ。バシーンってすげえ音してたぞ」
「うん。お尻に痣ができたかも」
 私は両手の甲の上に熱くなったお尻をそっと乗せて言った。
「ほんとか? でも陽子は芯が強いよ。泣かないもんな、絶対に」
「そんなことないよ、弱いよ」
 もし他の男の子に同じように話しかけられていたなら、私はもっと適当にあしらっていただろう。ナオキは私にとって、特別な男の子だったのだ。

 そもそも私には、この選抜クラスはレベルが高すぎた。なかなか平均点すら取れず、ケツ定規のお仕置きの常連になっていた。それでも私は、ナオキと机を並べられることが楽しかった。
 私たちはN県の同じ集落で育った。ナオキは県立高校でも成績がよく、塾でもお仕置きとは無縁だった。私の方はそこそこの女子高で、成績もそこそこ。そんな私とナオキが親しくなったのは、小学校6年生の夏休みの、ある事件がきっかけだった。

 どこの田舎にもそれぞれ違った風習があると思うが、私たちの集落のそれはとくに変わっていた。子どもが大人の前でちょっとお尻を突き出して、お尻ペンペンの仕草をしたとする。それは大変に罰当たりな行為で、その子どもはたちまちその大人にとっ捕まって、その場で嫌と言うほどお尻をひっぱたかれるのだ。お地蔵さんにおしっこをひっかけたときより怒られたと言っていた男の子もいた。
 でも子どもの立場からすると、お地蔵さんにおしっこはともかく、なんで怒られるのか釈然としない。そのうちに怖そうな大人の前でわざとお尻ペンペンの仕草をして、そのまま一目散に逃げるという遊びが、男の子の間ではやり始めた。
 古い風習とはいえ少しずつ時代も変わっていく。一般にこのお尻ペンペンの仕草に厳しいのは爺さん世代だが、6年生の男の子の足なら余裕で振り切れた。一方で40代くらいの強面のおっさんは、いざ捕まってみたらお説教だけで解放してもらえることが多く、男の子たちは味をしめていった。とくに大人の追跡を振り切ったときは爽快らしい。
「あのオヤジ、足遅えんだよ」
 そんなことを言いながら仲間で笑い合う。その度胸試しという遊びは、いつしか女の子の間でもはやり始めた。男の子に交じって最初に度胸試しを始めたのは、近所のミズキだった。そして私も誘われた。でも普通の女の子は、あまりやってなかったと思う。私とミズキは1つ年下のマナも誘って、大人をからかって回った。
「女の子なんだから、捕まってもお尻ひっぱたかれたりしないわよ」
 ミズキはナメ切っていた。

 そのうちにミズキは、もっと歯応えのある相手に挑戦しようと言い出した。
「ねえ、お寺の住職の前で度胸試ししてみない?」
「ヤバイよ、それ、捕まったら」
「捕まんなきゃいいじゃん。住職なんてあの格好だし、早く走れっこないよ。マナ、どう思う?」
 マナは少し考えていた。
「うん。捕まんなきゃ、やってもいいけど」
「決まった! 陽子、逃げるなよ。そうだ、男の子も誘おうよ」
 そして男子3人、女子3人のチームが編成された。いま思うとまったく他愛ない遊びなんだけど、お寺ということで肝試しに近いドキドキ感があった。

 私たち6人は、夕暮れのお寺に侵入した。そして住職を見つけるや、6人が並んで一斉にお尻ペンペンの仕草をした。その瞬間、住職が血相を変えて追ってきた。
「やべ、逃げろ!」
 男の子3人はいち早く逃げた。私たち女の子も後を追う段取りだった。ところが、私は砂利でつまずいてしまった。前の2人の背中が小さくなっていく。前のめりになった上半身を起こそうとした瞬間、誰かに右腕をギュッと捕まれた。恐る恐る振り返ると、あの住職が鬼の形相で私を睨みつけていた。私は震え上がった。もう日の暮れかかったお寺の庭で私1人が捕まってしまった。これからどんなお仕置きをされるんだろう。
 住職は無言で私の右腕をきつく握ったまま、庭の真ん中まで連れていった。
「悪さした子たち、みんな出てきなさい」
 住職の口調は静かだが決然としていた。何十秒かたった。住職はその場から一歩も動こうとしなかった。もうみんな逃げちゃったわよ。そう思っていたそのとき、とっくに逃げ出したはずのミズキとマナが戻ってきた。
「ごめんなさい。私たち、この子の仲間です」
 ミズキがそう言って頭を下げた。それからしばらくして、今度はナオキが戻ってきた。住職はさらに待った。でもあとの2人の男の子は戻ってこなかった。

 私たち4人はお寺の奥の方の薄暗い部屋に連れていかれた。
「そこに並んで四つん這いになりなさい」
 私たちは言われた通りにした。一番左からミズキ、ナオキ、マナ、そして私の順で、畳に両手と膝をついてお尻を突き出した。住職はいったん部屋を出た。4人とも何も言わなかったし、姿勢を崩そうともしなかった。
 ほどなく戻ってきた住職の手には、座禅で使う警策が握られていた。お仕置きは一番左のミズキから始まった。バシッ、バシッ、バシッ。5、6回お尻を叩かれたところでミズキは泣き出した。
「ごめんなさい」
 バシッ、バシッ。たぶん20発はひっぱたかれたと思う。次はナオキだった。ナオキが叩かれている間もミズキは泣き止まなかった。痛さとショック、両方あるだろう。私が捕まったばっかりに、みんな、ゴメン! 
 ナオキは最後まで泣かなかった。今度はマナの番だ。バシッ、バシッ。マナは2発目くらいから泣き出した。1つ年下のマナが泣くことはわかっていた。それでも住職は力を緩めることはなかった。バシッ。大泣きのマナのお尻にも、前2人と同じ20発くらいの警策が飛んだ。
 最後が私だ。バシッ。いきなり息が詰まるほどに痛い。バシッ。警策って細く見えるけど、先の方は結構幅があるんだなと思った。それによくしなる。バシッ。5発目くらいでもう涙目になった。続けてほとんど同じ場所を容赦なくひっぱたかれるから痛いなんてもんじゃない。でも私は泣けない。みんなのことを思うと、泣いてはいけないと思った。みんなをこんな場所に引き込んだのは私だ。どんなに痛くても我慢しなければ。なんとか半泣きのまま20発くらいの厳しいお仕置きが終わった。

 私たちはやっと許されて外の階段を下りた。4人とも、お尻をさすりっぱなしだった。私は3人に謝って、礼を言った。
「みんな、ありがとう」
「言い出しっぺはあたしだもん。陽子置いて逃げられないよ」
 ミズキが私の肩にそっと手をかけてそう言った。その瞬間、いままで我慢していた涙が溢れ出して止まらなくなった。マナはまだべそをかいていた。
「それにしても逃げたあの2人、あたしらみんな20発はひっぱたかれたのに」
 ミズキはそう言って頬を膨らませた。

 この事件があってから、私たち3人の女子はいつも一緒に遊ぶようになった。そしてときどき、そこにナオキが加わった。逃げた2人の男の子とは遊ばなくなった。中学生になっても、女子3人に男子1人、端から見ればバランスが悪いかもしれないけど、なんか一緒にいると落ち着ける仲間になった。
 そしてナオキは県立高校に、私は女子高に。ナオキがこの塾の選抜クラスに通っていることを知って、私も頑張って2年から机を並べられるようになった。

 塾でのお仕置きは私が入ってすぐに始まった。例えばある講師は、テストの出来の良い順に答案を返していく。そして半分くらい返し終わると、
「はい、ここから先はアウト」 
 そう言うと1人ずつ前の黒板に両手をつかせて、あの1メートル定規で思いっきりお尻をひっぱたく。ひっぱたかれた後でないと、答案は返してもらえないのだ。
 別の講師は小テストのとき、
「あと1分、下から3人ケツ叩きな」
 答案が返ってくるまではもうドキドキで、ナオキはいつもセーフだったけど、私はこの2人の講師からよくお仕置きを受けた。それでもナオキといられる塾は、学校よりずっと楽しかった。
「しかしなあ、陽子はなんか、いつもケツひっぱたかれてる印象があるよなあ」
「しょうがないじゃん。あたし、ナオキみたいに勉強できないもん」
「なあ陽子、覚えてるだろ。小6のときの度胸試し」
「覚えてるに決まってるっしょ。怖かったよー、あの住職」
「今度みんなでまたあの住職に会いにいってみないか?」
「え? また度胸試しすんの?」
「バカ、いまとなっては懐かしい思い出だと思わないか?」
 確かにそう言われればそんな気もする。小学校の夏休み、真っ先に思い出すのはお寺のあの薄暗い部屋だった。
「あのお部屋、まだあるよね」
「な、陽子も懐かしくなっただろ」
「うん。ミズキとマナにはすぐ連絡つくよ。行くって言うかはわからないけど」
「よし、決まり。夏休みに行こうぜ。ちょうど度胸試しした頃な」

 ミズキもマナも二つ返事で快諾した。もともと私たちが悪いのだから、住職さえ許してもらえれば改めて謝りたいし、少しは成長した姿も見てほしい。
 真夏の太陽がお寺の庭に照りつけていた。住職は笑顔で私たちを迎えてくれた。
「あのときの4人組だね。みんな大きくなったな」
 住職は成長した娘や息子を見るような目で、私たちを1人ずつ見つめた。夕暮れの庭で右腕を捕まれて振り返ったとき、鬼のように精悍に見えたあの顔が嘘のように穏やかな笑顔だ。
「私が怒ったのは、君たちが場所柄をわきまえなかったからだ。でもまあ、すぐにみんないい子だとわかった。いい子だからこそ、心を鬼にしてきついお仕置きをさせてもらった。鉄は熱いうちに打てということだ」
「ほんと、住職さん、鬼のようでした」
 マナがお尻をさする仕草をしながら言った。
「あ、君だな、私に捕まったのは」
 住職は私に気がついた。
「え? 私です。まだ覚えてらしたんですか?」
「当たり前だよ。君たちを忘れるはずないだろ。そうだ、上がっていくか?」
「はい。あのお部屋、まだありますか?」
 ナオキがそう言うと、住職はついてこいという仕草をして歩き出した。

 子供心に刻まれたあの恐ろしい部屋は、真夏の光を浴びて何の変哲もなく見えた。
「覚えてる、覚えてる。ここでミズキが四つん這いになって、ここが俺、ここがマナ、陽子はこの辺だったよな」
 ナオキは私たちが横一列にお尻を並べた場所を往復すると、自分のいたあたりで四つん這いになってみせた。
「あの警策、まだありますか?」
 私は住職に聞いた。住職は黙ってうなずくと、あの警策を取りにいった。
「わあ、これだ、これ。懐かしい」
 ミズキは私たちのお尻に当たった警策の先の方を触りながらはしゃいで言った。
「警策って、真ん中は細いけど先の方は結構幅が広いですよね。それによくしなるのでびっくりしました」
 私がそう言うと、住職は高笑いした。
「君のお尻が覚えているのかな?」
「これでいままで悪ガキのお尻とか叩いてきたんですか?」
 ナオキの問いに住職は答えた。
「いいや、お尻を叩いたのは君たちだけだよ。普段は座禅用で肩や背中を打つものだからね。だからよけいによく覚えているよ」
「悪ガキは私たちだけか」
 私はつぶやいた。
「そう。懲らしめがいのある悪ガキだったぞ」

 私たちはあの日と同じようにお寺の外の階段を下りた。泣きながらお尻をさすって下りたあの思い出の階段だ。
「何か思うところがあったらいつでも来なさい。これも縁だ。私があのときあのお嬢さんの腕をつかんだからこそ、いまこうして談笑していられる」
「そうですね。住職さんに捕まって、私、よかったと思ってます」
 いままでほとんど口をつぐんでいたマナが言った。
「君たちは捕まったんじゃない。仲間を助けるために戻ってきたんだろ? 私に捕まったのはあのお嬢さんだけだ」
 住職が私の方を見て言った。
「だからあのお嬢さんだけは、他の3人よりも5,6発多く叩いたんだ」
「え、そうだったんですか? 回数なんか全然わかりませんでしたよ。もうムチャクチャ痛くて」
 私がそう言うと、住職は微笑んだ。
「じつを言うと、私は君をいちばんきつく叩いた。でも君は最後まで涙を堪えたね。他の3人はどんなに泣いてもいいが、君は泣いてはいけない。賢い子だと思ったよ」
「住職さん、やっぱり見てるなあ」
 ミズキが感心したように言った。

 お寺の外に出ると、少しだけひんやりした風が吹いていた。
「こっから駅まで競走しようぜ。度胸試しのときみたく全速力で」
 ナオキが言った。
「ええ? このクソ暑いのに」
 口を尖らせるミズキを尻目に、ナオキが駆けだした。
「待ってよ−」
 ミズキとマナも続いた。
「一番遅れたやつ、お尻ペンペンな」
 ナオキが大声で言った。
「なにそれ、あたしじゃん」
 私も慌てて3人の後を追った。







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