お仕置きファイル



序文 春への書簡 遠い春 校庭に吹く風 闇の重さ 旅立ち 熊野の熱い夏
 

  それぞれの放課後

 その年の春、県立の受験に失敗した私は、その女子高の門戸を叩いた。地方では、進路選択の道は限られている。親にも受けのいい高校となると、躾が売りで進学率もそれなりの私立は私の場合、その女子高しかなかった。だからこそ、私は何としても県立に受かりたかったのに。その思いが空回りしてしまったのだろう。私の失敗は担任にも意外だったようだ。
 私はショックだったし、何より気が重かった。校則の厳しさは県立の比じゃない。さっそく先生からの厳しい洗礼が私を待っていた。

 入学間もない頃、4時間目の体育の授業が終わろうとしていた時だ。S先生は私と有香に2人だけ体育館に残るように言った。私たちには理由を言わなかったが、とにかく2人だけで道具の後片付けをさせられた。
「どうしてあたしたちだけ」
「先生の注意、聞いてなかったからかも」
「そっか。祥子、お腹空いたね。もう先生もいなくなったから戻ろうよ」
「うん」
 私たちはマットをいい加減に折り畳むと、急いで更衣室に向かった。

 S先生の2度目の授業だった。他の生徒がランニングを始めた体育館の隅に、私と有香が呼ばれた。
「お前ら、壁に両手をついて並べ」
 S先生は押し殺したような声で言った。心当たりはあった。この前の後片付けが、S先生は気に入らなかったのだ。私がチラッと有香の方を見ると、有香も私の方を見ている。
「早くしろ!」
 S先生の声のトーンが高くなった。明らかに怒っている。私と有香は震え上がって目の前の壁に並んで両手をついた。S先生が私たちの後ろに立った。さっきからS先生が手に持っていた物が気になっていた。それは、先が平たくなった木のバットのようなものだった。あれ、何て言うんだろう。あれで私たち、お尻をひっぱたかれるってこと? 痛いのかなあ? 生徒たちの走る靴音だけが館内に響いている。さっきは遠くに聞こえていた靴音が近づいてきた。それだけ時間がたっているのだ。S先生、私たちの後ろで何してるんだろう。ただ壁を見つめているだけの気まずい時間がよけい長く感じられる。
 私はちらっと横を見た。有香はお仕置きを受ける子供のように、ショートパンツのお尻を突き出す姿勢で立っていた。ええ? 私もあんな風にしなきゃいけないの? 私は棒立ちのままだった。そう思った瞬間、バシーンという乾いた木の大きな音が館内に響き渡った。
「痛ぇ」
 有香がつぶやいた。私はヤバイと思い、あわてて有香と同じようにお尻を突き出した。
「祥子! お前の方が態度が悪い!」
 次の瞬間、お尻にめり込むような木の衝撃と熱さと痛みが襲った。私は一瞬息が詰まり、声も出なかった。
 それから私と有香は、体育の授業に加わった。すごくバツが悪かった。
「祥子の方が、ずっと大きな音したよ」
 隣のクラスの智美が笑いながら言う。
「まだお尻がヒリヒリするよ」
 私はまだ熱を持っているショートパンツのお尻をさすりながら、頬を膨らませて言った。あの平たい木のバットはインパクトトレーナーと言い、ソフトボール部員が練習で使うらしい。ボールの当たる面積を広くした打撃練習用バットだ。ボールだけでなく、ミスをした部員のお尻を打つのにも使われていた道具だった。

 それからS先生の授業では、ほとんどの生徒があのインパクトトレーナーでお尻をひっぱたかれた。遅刻、無駄話、忘れ物、授業中は半袖、短パンで長いジャージは禁止。違反はS先生の気分次第だけど、すべてお仕置きの対象になった。体育の先生だから腕っぷしは強かったし、体育館ではお尻の音が恥ずかしくなるほどよく響いた。
 S先生も厳しかったが、じつはもう一人厳しい先生がいた。国語のN先生だ。恰幅がよく鍛えた体つきのS先生に比べると、ずいぶん華奢に見える。大学を出て3年目の若い先生だ。ところが、とんでもなく厳しいことが授業を受けてすぐにわかった。

 2年生になって何度目かの国語の授業中。午後の世界史の宿題をこっそりやっていた生徒と、転た寝していた生徒の2人が見つかって教室の外に引っぱり出され、廊下に正座させられた。それだけではなかった。N先生は授業を5分前に終わらせると、教室を出ていった。教室の中には張りつめた空気がまだ残っていて、おしゃべりする者もいない。
 しばらくして、廊下からバシッという凄い音が聞こえてきた。そしてあの2人の悲鳴ともつかない声が。2人は交互にN先生に謝っていた。数えていたら、2人で6発ひっぱたかれていた。あれは間違いなくお尻を竹刀で打つ音だ。休み時間、教室は凍り付いたようになっていた。2人が戻ってきても、誰も声をかけなかった。気まずくて、次の授業が早く始まってほしかった。
 そしてそれが、国語の授業の日常的光景になった。誰かが廊下に正座させられ、授業の終わりには静まりかえった廊下からバシーンという竹刀でお尻を打つ音が教室に響いてくる。隣のクラスの廊下からもお仕置きの音が聞こえてきた。廊下から教室へとお尻の音はよく響く。ということは、こちらの音も隣の教室に筒抜けということ。休み時間には誰がお仕置きをされていたか、あっという間に噂は広まってしまう。
 私はお仕置きされたくない一心で、国語の授業だけは必死で受けた。2年生の間、お尻が無傷で済んだのは私を含めてクラスでは数人だった。もっとも体育の授業では、私はときどきお仕置きを受けていた。国語に必死だったのは、廊下から聞こえてくる音が恐怖だったのと、N先生に嫌われたくなかったからだ。
 隣のクラスでN先生に睨まれていたのは智美だった。「痛えなあ」と悪態をつくような智美の声がしばしば廊下から聞こえた。そんな言い方するのは智美しかいない。その後にはさらに凄い竹刀の音が数回聞こえ、やがて静かになった。

 3年になって間もなく、私はそのN先生にこっぴどく叱られる羽目になった。でもそれは、私が悪かったんだから仕方がない。
 私と有香、智美の3人で、校舎の裏で喫煙していたところを見つかってしまったのだ。といっても、有香と智美は先に部活に行ってしまって、見つかったのは私だけ。
「祥子! 来い!」
 もう最悪。せっかくN先生の前では心証よくと心がけていたのに。私はまだ喫煙数回目。きっかけはカラオケだった。そこで智美に勧められて、初めて吸った。学校ではもちろん初めてなのに、常習犯の2人はもう逃げてしまった。
 私はN先生に放課後の職員室に連れていかれた。
「祥子、始末書書くか?」
「書かなきゃダメですか?」
「……。じゃあ廊下に立ってろ」
 N先生は比較的冷静に言った。立たされるだけで済むはずがない。やっぱり、廊下でお仕置きか。N先生はどうしてそんなに廊下が好きなんだろう。誰もいない職員室でお仕置きされるほうがマシだわ。でももう、なるようになれよ。廊下を誰も通らないことを祈るのみ。でも廊下じゃ音が筒抜けじゃん。
「祥子! なにボケッとしてるんだ。早く壁に両手をつけよ」
「は、はい」
 突き出したお尻の真ん中に、いきなり真横から竹刀が飛んできた。それも間を置かずに3発も。私はたまらず膝を折り、その場に崩れ落ちた。左手は壁についたまま、右手は離してスカートのお尻に当て、黙って哀願するようにN先生を見上げた。
「誰がしゃがんでいいと言った。祥子!」
 N先生の声の威圧感に押され、私はすぐ立ち上がった。脱げそうになった左足を上履きに急いで押し込むと、私は壁にまた両手をついてお尻を突き出した。バシーン、バシーン。お尻全体が痺れてきて熱い。国語の授業のお仕置きより遙かに長かった。20発くらいひっぱたかれた。
 あまりに痛くて私は半泣きになった。そのうちに堪えきれず涙が溢れてきた。でも号泣だけはするまいと思った。それよりも悲しくて、自分が情けなかった。
「どうだ、少しは懲りたか」
 両手を壁についたまま、私は振り向いて大きくうなずいた。
「今度見つけたら、ケツ竹刀50発だぞ」
「はい!」
 私が声を張り上げると、N先生の眼が少し優しくなった気がした。
「今日のことはもういい。祥子、息が弾んでるぞ」
 N先生はそう言うと、私に背を向けて職員室に戻ろうとした。私はN先生をここに引き留めておきたいような、妙な衝動に駆られた。一瞬、「先生」と叫んで抱きついてみたくなった。それとも「ごめんなさい!」って大声で言ってみようか。N先生、どんな反応するだろう。私、どうかしてるかも。なんだか変に高揚した気分のまま、私は教室への廊下を歩いていた。

「ハハハ、祥子はまったく、ドジな子だねえ」
 智美が大声で笑う。私と有香と3人は、休日のカラオケボックスにいた。この店が、すべての元凶だった。
「祥子、吸わないの?」
 有香が言う。
「あたし、もうやめる。今度見つかったら、竹刀でお尻50発だもん」
「マジ? やりかねんけどな、あの先生なら」
 有香は少し神妙になった。
「2人とも、そのうち絶対見つかるって」
 私の真剣な忠告を智美が遮った。
「大丈夫だよ。あたしたち、祥子みたくドジじゃないから」
 智美はそう言うと、有香と眼を合わせて2人で笑い合った。

 それから数日後、智美と有香がスカートのお尻を押さえて放課後の教室に駆け込んできた。校舎裏での喫煙がN先生にばれたのだ。N先生は私に共犯者がいるとみて、ずっとアンテナを張っていたのだった。
「イタタタタ、最悪だね、智美」
「うん、これからはカラオケボックスだけにしよう」
 智美はまだお尻に手のひらを当てていた。でもあまり懲りてはいなさそう。N先生の私たち3人を見る目が厳しくなった。授業では私も有香もいつも当てられ、忘れ物や授業態度をチェックされ、私もしばしば廊下で正座させられたあと、竹刀でお尻をひっぱたかれた。隣のクラスの廊下からは、竹刀の音と共に智美の声が頻繁に聞こえてきた。

 3学期になった。私は東京の大学へ、有香と智美は地元に近い関西の女子大に進むことになった。初めは憂鬱だったこの女子高も、住めば都だったかもしれない。友達もできたし、いざ卒業が近づいてくるともう少しいたいような気もしてくる。
 その日、私は放課後の廊下でバッタリN先生とすれ違った。私の鞄の中には持ち込みが禁止されている、ちょっとエッチなマンガ雑誌が入っていた。すれ違いざま私はなんだか恥ずかしくなって、少したじろぎながらN先生の方を見た。N先生は私の動揺を見過ごさなかった。
「祥子、ちょっと来い」
「は、はい」
 私は鞄を大事なもののように両腕で前に抱え込み、おどおどした声で言った。そのときは校則違反の罰よりも、雑誌をN先生に見られることが恥ずかしくてためらわれた。
「緊急持ち物検査だ」
 私は生徒指導室に連れていかれた。N先生は私がまた喫煙を始めたのではと疑っていたのだ。鞄から出てきたのが煙草ではなくマンガ雑誌だったので、N先生は少しほっとした様子に見えた。でも、違反は違反。それに私としては、こちらの方が恥ずかしかった。もじもじしている私をN先生は叱り飛ばした。
「祥子! その机に両手をつけ!」
「はい! 先生、こうですか?」
 私は条件反射のように反応した。目の前の頑丈そうな机に両手をしっかりついて、お尻を突き出す。すると妙にさばさばした気分になった。違反を見つけてもらって、かえってけじめがついたような気さえした。もうこれがN先生の最後のお仕置きになるかもしれない、そんな思いが心のどこかにあった。
「今日は珍しく態度がいいな」
「はい。覚悟はできてます」
「よし、いい覚悟だ」
 そこは誰もいない生徒指導室。私とN先生と、2人だけの濃密な時間がゆっくりと流れていく気がした。バシッ、バシッ……。傾いていく冬の西陽が、私が手をついている机の上の方に細く長く差し込んでいる。聞こえるのは、N先生の竹刀が私のお尻を打つ音だけ。バシッ。一打一打が私のお尻にそのつど熱い痛みと衝撃を運んでくる。でもその一つ一つのお尻の音は、私にとってなんだか愛おしく私の耳には響いていた。私はいま、こうしてN先生から罰を受けているという現実を噛みしめていた。N先生の方にもっとしっかりとお尻を向けなければとさえ思った。
 喫煙が見つかったときのように、今日も20発くらいひっぱたかれた。同じくらい痛かったけど、でも涙は出なかったし、悲しくもなかった。この1年間で自分はN先生の教え子になれたんだな、そんな気がした。私は振り返ってN先生の眼を一瞬見つめ、首を竦めてみせた。先生、私、泣いてなんかいないよ、そう言いたかった。N先生の口元が少し緩んだ。
「これは没収。手のかかるヤツだ、まったく」
「でも先生、煙草はちゃんとやめました。だって先生の竹刀、痛いんだもん」
 私はジンジン痛むお尻を少し先生の方に向けてさすりながら言った。
「当たり前だ、バカ。……祥子、道草しないでまっすぐ帰れよ」
「はい」
 もうお尻は焼けそう。道草って、小学生じゃあるまいし。でもなんだか素直な気持ちになれている自分がいる。「お前はまだ悪ガキなんだぞ」ってN先生に言われている気がする。友達にも私は奥手だってよく言われるけど、いいわ、どうせ子供よ、背伸びなんかしない。

 あれから4年、私はときどきN先生の夢を見た。いつも私が悪さをして叱られ、いよいよこれからお仕置き、というところで目が覚めた。なんだ、夢だったのか。今夜はもう少し続きまで見たかったかも。不思議なことに他の先生とか楽しい高校時代の思い出は夢の中に出てこない。
 都会の大学生活は快適で自由だ。教官はみんな紳士的だし、クラスの男の子やバイト先の先輩は優しいし。でもなんだかなあ、と思うことがある。寝坊しても忘れ物しても怒られなくていいの? みたいな。

 この冬休み、久しぶりに有香に会った。有香は学生結婚して、1児の母になっていた。有香を東京のカラオケボックスに連れていった。
「祥子は堅いなあ。やっぱり公務員か」
「でも智美が先生になるのには驚いたよ」
 智美はあの女子高に、教育実習で行ったらしい。
「N先生にいちばん悪態ついて、お仕置きされてたの、智美だったよね。でもさあ」
 有香が怪訝そうに言う。
「でも何よ」
「智美さあ、わざとN先生にばかりつっかかってたとしか思えないんだよね。教育実習に行く前なんか、妙にそわそわして嬉しそうだったんだよ」
「そうなの?」
 有香は少し考えていた。
「N先生ってさあ、……結構よかったかも。あたし、ときどきN先生の夢見ちゃってさあ」
 え、有香も? 私はそう言いそうになってやめた。
「へえー」
 そして、わざと無関心を装った。
「そう言えば、祥子、昔喫煙してたよね」
「うん、遊びでね」
「そう、祥子のは遊び。それをN先生に見つかって、こっぴどくお尻ひっぱたかれて、やめたんだよねえ」
 有香は笑いをこらえながら言葉を繋いだ。
「そうだけど」
「じゃあ、N先生に感謝しないとね」
「うん……」
 私は煮え切らない様子で小さく相づちを打った。
 すると有香は、自分の話を始めた。有香は妊娠がわかって、すぐに禁煙したそうだ。有香は常習だったので、それがいかに大変だったかを力を込めて語り出した。
 それからちょっと怖い顔をして見せた。
「祥子! 声が小さい。N先生に感謝しなさい!」
「はい!」
 有香の突然の大声に引きずられるように、私も叫んだ。急に気恥ずかしくなった。なによ、先生じゃあるまいし。
 ふと有香の方を見ると、声もたてずに笑っている。いかにも可笑しそうだ。有香、なんだか大人になったなと思った。家庭を持ち娘を持ったことの母親の自信のようなものを、有香の笑顔に垣間見た。  







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