お仕置きファイル



序文 春への書簡 遠い春 校庭に吹く風 闇の重さ 旅立ち 熊野の熱い夏
 

  松本先生のハードスパンキング

<序章 嵐の予感〜スパンキング前夜>

 小学校高学年の頃、スパンキングは日常の中にありました。担任の女の先生は大学を出たばかりで、言うことを聞かない子供達をもて余していました。そしてある日、とうとう先生は意を決したように男の子にお仕置きを始めました。最初は遠慮がちでしたが、だんだんお尻を叩く先生の手に力がこもっていくのがわかりました。お仕置きは平手打ちから始まり、ポリバケツの蓋やほうきが使われるようになりました。次第に男子ばかりお尻を叩かれるのは不公平だと不満の声が上がり始めると、時には女子でもお尻を叩かれるようになりました。叩かれたのは決まっていつもショートパンツをはいているようなボーイッシュな子でした。ただ明らかに、先生は女子には手加減していました。男子のように教室の前にひっぱり出して見せしめにお仕置きすることもありませんでした。男子との釣り合いをとるために、ときどきしかたなく叩いていたのです。教室の前で叩かれる男の子の半ズボンのお尻からは、よく埃が出ました。僕はいつもそのお仕置きの光景を、表面上見学者として冷ややかに見ていました。なんて無様なんだろう。ただ心の底では、お仕置きされる男の子の姿に自分を重ね合わせてハラハラしていたのです。自分もいつあんな立場に転落するやもしれない。そう想像する度に、なぜか無性に胸が熱くなってくるのです。密やかに膨らんでいく誘惑……。しかし、やがて卒業の時がきました。そして中学校での2年間、教室からお尻の体罰はすっかり姿を消していました。もうお仕置きなんて、遠い小学校時代の思い出で終わってしまうんだ。もう中三なんだから。そんな思い込みがいかに甘かったか、間もなく僕は思い知らされることになるのでした。



------------------------------------------------------------------------------
<第一章 理科室でのお仕置き(忘れ物をして)>

 中三になると、新しい学年主任に松本先生が決まりました。ベテランの男の先生でした。校内でも信頼が厚かったので、受験を控えた大事な時期を松本先生が見ることになったようです。松本先生は理科を教えていました。恰幅のすごくいいどっしりした感じの先生でした。僕は当初、何も気にとめていませんでした。特に生徒に怖がられているわけでもなく、むしろ慕われているくらいで、特別厳しいという噂もありません。ただ生活指導には厳しく、本気で怒ると相当怖いとは誰かが言っていましたが。

 初めての理科の授業も、何の波乱もなく終わりました。授業の最後に松本先生は言いました。「次の授業では理科室で実験をする。必ず待ち針を一人五本ずつ持ってこい。忘れるなよ」。僕はもともと忘れ物はしない方でした。ただだんだん中学の生活に慣れてきたというか、だらけてきていたところはあったと思います。僕が忘れ物に気がついたのは二度目の理科の始業ベルが鳴った直後で、ほどなく松本先生が理科室に入ってきました。僕は、あ、いけないとは思いましたが、気楽に考えていました。どうせ忘れたのは大勢いるだろう。確かにその通りでこれでは実験ができないと、松本先生はとても不機嫌そうでした。忘れた生徒はその場に立つように言われ、先生は一人ずつエンマ帳に名前をメモしながら生徒の席の間を歩いて回り始めました。そして僕の前に立った途端、松本先生は急に険しい表情になり僕を怒鳴りつけました。「なんだ、その態度は! 早くポケットから手を出せ!」。気が緩んでいたというか、それは僕の癖でもあったのですが、僕は何の気なしにズボンのポケットに両手を突っ込んでいたのでした。さらにまずいことに、僕は先生に怒鳴られてもポケットからすぐには手を出そうとはしませんでした。忘れ物くらいでなぜこんなに怒られなきゃいけないんだろう。それは反抗心というのではなく、目の前の現実が他人事みたいな感じで、先生が何か言ったのも上の空で聞き過ごしてしまいました。すると松本先生はいよいよ怒ったように振り向いて教卓のほうに向かい歩き始めました。ますますまずい。先生はきっと僕がふてくされていると思ったに違いない。松本先生は何か思いついたように教卓の上に載せてあった理科室の定規を手に取りました。それは実験のとき使う定規で、普通の定規よりずっと厚みがあり、幅も広いがっしりした木製の一メートル定規です。松本先生はその定規で軽く素振りをしてから、半ば独り言のようにつぶやいたのでした。「いまからこれでケツひっぱたくか……」。えっ? まさか。一瞬動揺しましたがまだ僕は半信半疑でした。でも松本先生は、すっかりその気になってしまったのです。先生の次の言葉は僕にとって、頭から冷水を浴びせられるようなものとなりました。「よし、さあ早く前へ出てこい! いまからこの定規で思いっきりケツひっぱたく!」。 教室がざわめきました。あの頑丈そうな定規でお尻をひっぱたかれるのだと思うと僕はひどく動揺しました。恥ずかしい。痛そう。でもどのくらい痛いのかな。一度は体験してみてもいいかも。いや、こんなチャンスめったにないぞ。どうせもう逃げられないんだし。嫌だなと思いつつも僕は妙に新鮮な興奮を覚えていました。家でも学校でも叱られたことのなかった僕は、これから始まるお仕置きの実感がわかず、夢心地で教室の前へと歩いていました。見入られたというか、いま囚われの身となった自分が突然スポットライトを浴びているような不思議とワクワクする気持ち。でもまだ心の整理ができていなかった僕には、照れや反抗的な気持ちのほうが勝っていました。僕はいかにも嫌そうにゆっくり片方ずつポケットから手を出し、しぶしぶ教卓の横のところにつきました。自分の態度がいかにも反抗的な悪戯っ子のように思えました。松本先生は僕の後ろに下がって見えなくなりました。教室は今度は水を打ったようになりました。こんなにドキドキしたことは初めてでした。気持ちが高ぶってきて抑えられません。松本先生には自分の心の中を背後から見透かされている気がしました。後ろを向かされているのが悔しい。いつまでこんな格好のまま立たされているの? 僕はその静寂に耐え切れず、平静を装って横を向き、生徒の席を見回しました。幼馴染みの女の子と視線が合いました。みんな興味津々みたいだ。僕はみんなから見ると横向きに立たされていました。松本先生は黒板を背にして立っているので、お尻に当たる瞬間まで定規の軌道が前の席の生徒にはよく見えるはずです。それにひっぱたかれる瞬間の僕の横顔も見られてしまう。自分は見せ物にされていると感じました。それにしてもなかなか叩かれません。松本先生はいまどんな姿勢で定規を構えているんだろう。定規はお尻のどの辺に当たるんだろう。思い切りひっぱたかれるのかな。先生すっかり怒らしちゃったしな。きっとすごく痛いのかな。しっかり教卓につかまってないと前にふっ飛ばされるかも。少し落ち着いてくると、痛さへの現実的恐怖が芽生えてきました。僕は思い直したように今度はきっちり両手を教卓の角につき直し、お尻を松本先生のほうへまっすぐ突き出して踏ん張りました。先生に思いっきりひっぱたかれても耐えられるように。そしてもう覚悟を決めたことを先生に伝えるように。定規の先が軽くお尻に触れました。このあたりをひっぱたくぞという先生の合図のようでした。こうなったら定規が変な場所に当たると危ないので、もうお尻の位置は動かせません。先生に狙ったところをきっちり叩かれるしかない。もうどうにでもなれ。まだ叩かれない。ほんとうに叩かれるのかな。バシーン!! 

 ひっぱたかれた瞬間体が前に倒されそうになりました。僕のお尻からはびっくりするほど大きな高い音がしました。同時に焼け火箸でも当てられたような熱さと強い振動をお尻全体で感じました。次の瞬間、定規の当たった場所に鈍い痛みを感じ、痛みはお尻の芯にズシンと染みていくようでした。こんなに痛いんだ。定規は子供みたいに小さい僕のお尻の真ん中を測ったように長方形で捕え、思っていたよりもずっと広い面積をカバーしていました。僕はお尻の熱さが一瞬にして体中に伝わったかのように上気し、ショックで混乱していました。そして無意識のうちにひっぱたかれたままの格好でお尻の真ん中に右手のひらを当て、振り向いて松本先生の眼を覗き込んでいました。「痛ーい」と甘えるようにつぶやきながら。「そうか。痛かったか。また忘れたらこれでケツひっぱたくからな」「は、はい」。そう言ってしまった後、この言葉のやりとりと僕の態度が、二人のその後の立場を決定づけるような予感がしました。これでこの先生には、この先ずっともう頭が上がらない。でも後悔はない。これがお仕置きなんだ。痛いけどなぜか気持ちがいい。お尻なら納得できるというか、松本先生にひっぱたかれてもしかたないと思う。それまでの照れや反抗的な気持ちはいつの間にか消えていて、僕はかなり冷静になっていました。ツキモノが落ちたような気がしました。初めて先生のお説教が素直に聞けました。悪戯っ子がきついお仕置きをされてすっかり反省しているといった感じの僕の態度は、松本先生にも予想以上の成果だったのでしょう。先生の様子には自信と満足感がありました。そして僕は先生の愛や懲らしめの思いを肌で強く感じていました。お仕置きの間、自分はみんなの前で先生をひとり占めにしていたんだ、誰よりも可愛がってもらっていたんだと僕には確かに思えました。ああとうとうお仕置きをされてしまったんだなあ。小学校の頃、男の子がよくやられてたけど、まさかいま頃になって自分が当事者になるなんて……。僕がぼんやりしていると、「お尻、痛かったでしょ。あの先生、厳しくなったわね」と隣の席の女の子が、同情と好奇心の混ざったような調子で言いました。「うん。お尻から火が出たかと思ったよ」。まともにその子の眼を見て僕が真剣な顔で答えると、「まあ」と言ったきり、その子はうつむいて笑いを噛み殺しているようでした。

------------------------------------------------------------------------------
<第二章 クラスでのお仕置き(授業に遅刻して)>

「あの子、松本先生にひっぱたかれたのよ」「どこを?」「お、し、り……」「えーッ? ねえ、何でひっぱたかれたの?」「理科室の定規で、バシーン!」「うわッ、痛そう」。次の休み時間には、そんな会話がもう廊下や教室で交わされていました。取り返しのつかないことをしてしまったという気持ちでした。そんな会話の輪の中で、いちばん楽しそうにはしゃいでいたのが幼馴染みの優子でした。優子は活発で小学校の頃は悪戯もよくしたので、女の子の中では先生にいちばんよくお尻を叩かれていました。そういえば僕がきっとずる休みだって告げ口してお仕置きされたこともあったっけ。すっかり立場が逆転してしまった。おそらく優子もそれが楽しいに違いない。あの頃僕が冷ややかに優子に注いでいた視線が、反対に僕の方に注がれている。ああこのぶんじゃ僕のお仕置きの噂は、すぐに学年中に知れ渡ってしまうな。思いを寄せていた別のクラスの子の顔が僕の頭に浮かびました。

 噂の伝達速度は当時者の予想を遥かに超えることがあります。どういうルートで伝わったのか、翌日にはもう姉の耳にまで届いていました。「きのう、松本先生に定規でお尻ひっぱたかれたんだって。学校で何をやってるの?」「姉貴には関係ないだろ」「ばかね」。姉の詰問の前に僕は動揺を隠すので精いっぱいでした。学校では噂ばかりでなく、根拠のないデマまで飛び交っていました。「ねえ、聞いていい? 家でもまだお母さんにお仕置きされてるんだって? まあ、お尻なら考えられるけど」。三年になって初めて同じクラスになった美佐江でした。こんなデマの発信源は優子に違いない。それに僕は童顔で体つきも小学生みたいだったので、女の子なんかに子供扱いされることはよくありました。でも病弱でおとなしいというイメージがあったので、こんなことを面と向かって言われたのは初めてでした。みんなの僕を見る眼がすっかり悪い子を見る眼に変わってしまったのです。僕はしばらく美佐江と雑談していました。するといきなり誰かに、平手でピシャッとお尻をひっぱたかれてしまいました。優子でした。さっきから何度も話しかけたのに返事がないというのです。「自分が悪いんだからね。お仕置きです!」。僕はびっくりしてとっさに優子に何も言い返すことができませんでした。それを見ていた美佐江が笑って僕を見ながら優子に言いました。「おもしろい子!」。優子のやつ、もう許せない……。

 数日後、僕は休み時間に優子と廊下で雑談していました。話に熱中して始業のベルにも気づきませんでした。ふと目を教室にやると、松本先生が入っていくところです。いけない、早く戻らないと叱られる。僕は一瞬焦りましたが優子はまだ気がついていません。待てよ、もしもこのままここでずっと話していたらどうなるかな……お仕置き、だ。優子が松本先生に叱られてお尻をひっぱたかれる姿が見られるかも。もちろん僕も叩かれるだろうけど。それは僕にとっては魅力的な考えでした。よし、僕が味わったのと同じ恥ずかしさを味わわせてやる……。優子がやっと気づき青くなって教室に駆け戻ったとき、松本先生は腕組みして僕等を待ち構えていました。なんと二十分近くも遅れたのです。黙って怒りをこらえている松本先生を前にして、優子はすっかり震え上がっていました。お尻の体罰を覚悟したに違いありません。僕はそんな優子を前にして、笑いが込み上げてくるのを下を向いて必死でこらえていました。ざまあ見ろ、でもやっぱり年頃だから小学校の頃より何倍も恥ずかしいんだろうな、こんなに狼狽するなんて、面白くなってきたぞ。僕はその時、自分も優子と同じまな板の上に乗っていることをほとんど忘れていました。松本先生はしばらくの間、そんな僕等二人の様子をじっと観察していました。それからふと優子の手元に目をやり、持っていたセルロイドの下敷きを取り上げました。松本先生はその下敷きの角のところで優子の頭を叩きました。「もう遅れてくるんじゃないぞ」。諭すような先生の言葉に、優子は安堵の表情を浮かべて大きくうなずきました。そして先に席に返されました。拍子抜けとはこのことです。なんだ、今日はお尻じゃないんだ。僕はほっとしてもいました。でも優子は下敷きを持って戻ってしまったし、僕はどうなるんだろう。一瞬不安がよぎりました。「コラ! 授業に遅れてきてニタニタしてる奴があるか! 黒板のその縁にちゃんと両手をついて待ってろ!」。次の瞬間松本先生は僕の方を振り向くと、別人のように大声をはりあげて僕を睨みつけました。そうか、こういう手があったんだ。あの子は頭で、僕だけお尻だなんて。なんだか逆に先生にしてやられたみたいな気がしました。

 僕は先生の迫力に押されるように、慌てて前の黒板の縁に両手をつきました。これ以上先生を怒らせたら大変だと思い、今日はすぐにお尻を突き出しました。僕がお尻を突き出したのを確認すると、松本先生は教室の後ろに向かって歩き始めました。何で叩かれるんだろう。後ろが気になりましたが、黒板から手を離したり姿勢を崩すと怒られそうなので、恐る恐る脇の下から後ろを覗きました。松本先生は後ろの棚から取り出したバスケットボールを指で押して、空気が十分詰まっているかを確認しているようでした。あれで叩かれるのかな。先生と目が合わないうちに僕は姿勢をただして前の黒板に視線を戻しました。松本先生の近づいてくる足音が聞こえました。チラッと視線を斜め後ろに走らせると、先生はバスケットボールをネットに入れて、それを右手にぶら下げながら歩いてきました。先生の動きが止まったのがわかりました。もう一度チラッと見ると、先生はネットの先のところを持ち、素振りのまねのように少し振り上げてみてやめました。松本先生はもうお仕置きモードに入っているな。いやでも緊張感が高まります。僕はお尻をもう一度しっかりと突き出して踏ん張りました。眼の前には緑色の黒板だけが広がっていました。その真後ろで、松本先生はいちばん前の席の生徒に向かって軽口を叩いていました。「もう少し後ろからいくか。的が小さいからよーく狙わないとな。よし、この辺からひっぱたくか」。そして立つ位置を何度も変えては、その度にネットを振り上げたりして狙いを定め直しているようでした。急に背後で先生の動きが止まった感じがしました。教室が張り詰めた空気になりました。来るな、いよいよだな。……パーン! 乾いた小気味いい音がしました。バスケットボールは僕のお尻の真ん中で大きくはずんでいました。ボールのまるみを僕のお尻のまるみ全体で感じました。硬く張った革がお尻で強く跳ねる感触でしたが、至近距離から狙われたために想像していた以上にズシンと重い痛みがきました。後ろ向きに黒板に両手をつかされていたため、お尻のどのあたりにボールが当たったかまでみんなにはっきりと見られてしまった。席に戻るために後ろを振り返るとき、すごく勇気が要りました。いっせいにカメラのフラッシュを浴びせられるような恥ずかしさでした。クラスの教室は理科室よりずっと狭いので、振り返ってから改めて見るとみんなの顔がすぐ近くに見えました。こんなに近いところから見られていたんだな。それから自分の席まで歩いていくのがまた苦痛でした。遠回りしない限り、優子のそばを通らなければなりません。優子のことだから嫌みのひとつも言うに違いない。僕はしかたなく覚悟を決めて両手のひらをお尻に当てたまま下を向いて歩き始めました。でも優子と接近するそのいやな瞬間を少しでも先延ばししたくて、いかにもきまり悪そうにわざとゆっくりと。「早く席に着け! おまえがいつもいちばん態度が悪い!」。背中から松本先生の叱声が飛んできました。

------------------------------------------------------------------------------
<第三章 校舎の中庭でのお仕置き(土足で廊下を走って)>

 新学期が始まってまだ二週間もたっていないのに、僕だけが松本先生に二回もお尻をひっぱたかれてしまいました。松本先生はいままで僕が出会ってきた他の先生とはあきらかに違っていました。いままでの先生は皆僕のおとなしい性質だけを見て、真面目な生徒だと捉えていました。でも松本先生の目から見ると、僕は「いちばん甘ったれている」生徒なのでした。松本先生が問題にしているのは、犯した過ちそのものより、僕が叱られるときにとる態度でした。自分の過ちにちゃんと向き合おうとせず、すぐにすねたり逃げようとしたりする。真面目に説教が聞けず、お尻をひっぱたくとやっと少し素直になる。それは僕がいままで甘やかされて、厳しい躾と無縁に育ってきたからだというのが松本先生の考えでした。松本先生は職員室でも他の先生達にそんな話をしていました。僕の担任は森田先生という国語を教えていた若い女の先生でした。森田先生は松本先生を頼れる先輩として尊敬し、何かにつけてアドバイスなどももらっていたようです。僕は森田先生を通してそんな松本先生の考えや、職員室でどんな話をしているかなどを知ることができました。新学期になって僕だけがもう二回も松本先生にお仕置きをされたのは、決して偶然ではなかったのです。そしてさらに数日後、先生のこの僕への見方を決定づけるような事件が起きました。

 四時間目の体育の授業が終わった後のことです。僕等の中学では昼食は弁当を持参するか、学校指定の業者からパンを買うことになっていました。パンを買うときにはあらかじめ当日の朝に係の生徒に注文を出しておくのが決まりだったのですが、忘れたり追加を頼みたい生徒も出てきます。そのために業者の人が校舎の玄関に来ていて、そこで直接買うこともできました(ほんとうはいけないことになっていましたが、先生達も黙認していました)。これは早いもの勝ちになるので、当然人気のあるものから売り切れてしまいます。それで四時間目が終わると、校舎の玄関先はちょっとしたデパートのバーゲンセールのようなありさまになることがしばしばありました。その日、僕はパンの注文を出し忘れていました。おまけに財布は教室横の廊下のロッカーの中、早く取りにいかなきゃ……。僕は着替えは後にしてロッカーに向かうことにしました。玄関まで走るともう生徒が集まり始めています。そしてまた何人か廊下や階段を走ってやってきました。僕はますます焦りました。そこで最初の間違いを犯したのです。上履きに履き替えている時間がもったいない。ふと足元を見ると買ったばかりの運動靴でした。ほとんど汚れていないから、このまま上がっても平気だろう。行っちゃえ。そして廊下を走り始めたその時でした。「おまえら、廊下を走るなと言っただろ!」。松本先生でした。みんな一斉に走るのをやめました。僕も立ち止まらないわけにはいきません。「こんな騒ぎを繰り返すようなら、これからはもう規則どおりにするぞ!」。松本先生の周りには7、8人男女の生徒がいて皆黙っていました。僕はすこし離れた位置にいました。そこで先生の眼を盗んで、一人こっそり財布を取りにロッカーに向かおうとしました。その時です。「待て!……おまえ、その靴はなんだ!」。僕はとっさに渡り廊下の方向へ走って逃げました。これが決定的な間違いでした。当然松本先生は追いかけてきました。それから僕は中庭まで逃げましたが、そこでとうとう捕えられてしまいました。

 僕はその場で松本先生の小脇に抱え上げられました。先生の太い左腕が僕の下腹のあたりに食い込みました。僕はお尻を上向きにさせられ、くの字のような格好のまま、校舎の陰のあたりまで松本先生に運ばれていきました。そこはさっきの渡り廊下からは死角になった場所でした。僕は自分のあまりの無様な姿に足を必死でバタバタさせて抵抗しました。すると松本先生は、僕がはいていた体操着の黒い綿のショートパンツからむき出しになっている太腿の裏側のところを右手で押さえつけました。それは空中で、レスリングの技でいうエビ固めにされているような格好でした。もうどうしようもない。足が地面に届かないのが悔しい。まるで蜘蛛の巣に捕えられた昆虫みたいだ。校舎の窓に誰かいる。こっちを見られたかな。こんな格好で、小さい子みたいにしてお尻をひっぱたかれるなんて。最低。でも先生は何のためらいもなく、僕の下腹のところをぐっと深く抱え上げ直しました。それからショートパンツのお尻の両方のポケットを探って、生徒手帳とハンカチを抜き取りました。いよいよ先生の平手打ちがくるな……。

「コラッ! なぜ逃げるんだ!」ピシャッ!…「痛ぇ!」「痛ぇじゃないッ! ちっとも反省してないな!」ピシャッ!…「し、してます…。先生、ご免なさい!」「ちゃんと態度で反省しろ!」ピシャッ!…「先生、もう、許して!」ピシャッ!、ピシャッ!……先生の眼の前に僕のお尻が……。松本先生は僕のお尻をしっかり空中で固定していました。その斜め後ろで一度動きを止め、念を込めるようにしてから力いっぱい振り下ろされる先生の大きな右手が何度も僕の目に飛び込んできました。その度に先生の広げられた手のひらが僕のお尻に食い込んできます。その手のひらは分厚く、僕のお尻を包み込むほど大きなものでした。先生の手のひらはお尻に当たった後も一発毎に二、三秒はその当たった場所にとどまっていました。痛みの余韻とその手のひらの感触がすごくいやでした。僕は途中で何発ひっぱたかれたのかわからなくなり、ともかく空中で必死にもがいていました。周りの景色がゆらゆらして変な感じがしました。校舎がいつもよりも高く見えました。ただ抱き抱えられて下から見上げた松本先生はほんとうに怖かったです。先生はお仕置きの間中、僕のショートパンツのお尻をずっと睨み続けていました。お仕置きはたぶん二十発くらいは続いたと思います。とくに無言でひっぱたかれた後半の十発くらいが効きました。やっと地面に降ろしてもらったとき、僕はくらくらしていてすぐには立てませんでした。もちろんお尻は熱くしびれていました。僕はやっと立ち上がると、両手のひらをひっぱたかれたお尻の両側に当てて何度も大きく息をしました。手のひらはすぐにお尻の熱で温まりました。疲れ果てて放心状態でした。必死に暴れてみても結局は先生のなすがままで、自分の無力さ、大人と子供の力の差を思い知らされました。道具ではなく松本先生の手が直接僕のお尻に触れたことで、自分がぐっと先生の腕の中に引き寄せられた気がしました。

「これで三度目だな。先生にケツをひっぱたかれたのは」「はい。すっごく痛かったです」「もうお仕置きは懲り懲りか?」。僕は頬を膨らませてうなずきました。松本先生はやっぱり僕が逃げたことを怒っていたのでした。逃げれば必ず状況はもっと悪くなる、それを思い知らせたかったのだと。これからは絶対に逃げや甘えは許さないという強い意志が、先生のお仕置きの一打一打にはこもっていました。僕は松本先生から生徒手帳とハンカチを返してもらうとあたりの様子をうかがいました。渡り廊下から死角の場所に僕を運んだのは先生の配慮でしたが、校舎の窓からは確かに誰かが見ていました。それにじつは二年生の女の子が三人、少し離れた場所で美術のスケッチをしていたのです。その子達はお弁当を広げながらまだスケッチを続けていました。やっぱり恥ずかしいけど、でも松本先生なら人目もはばからずにお仕置きされてもしかたないかな、僕はそう思い始めていました。

------------------------------------------------------------------------------
<第四章 一学期のお仕置き(宿題を忘れて、授業態度が悪くて、朝寝坊して…)>

「ケツひっぱたくぞ! 前へ出ろ!」「は、はい。先生、またお尻ですか?」。だんだん僕は他の生徒達の前でも抵抗なく、松本先生にお尻を向けて立てるようになっていきました。他の生徒の反応も「あ、またやられてるな」という感じでした。クラス一お仕置きの似合う男の子になってしまったのです。松本先生は生徒の頭を叩くこともあるし、居残りとか他にもいろんな罰があったのですが、男子生徒達がいちばんいやがっていたのはお尻の体罰でした。松本先生は女子には「今度からはケツひっぱたくからな」と脅すことはあっても、実行することはありませんでした。だから女子達は安心しきって言いました。「男の子はしょうがないわよ。でも先生、女子には優しいから」。またお尻を叩かれる男子生徒も決まっていました。共通してみんな幼い感じの生徒でした。どんな罰を与えられるかはその日の松本先生の気分次第なのですが、叩かれる生徒でもお尻の体罰は何回かに一回の割合でした。でも松本先生は、僕に対してだけは徹底していつもお尻の体罰でした。それにみんな言っていましたが、僕のお尻を叩くときは他の生徒のときと「迫力が違う」のです。他の生徒はそれだけ松本先生を怒らせないように、うまく立ち回ってもいました。反対に僕は、なかなか素直になれずに結果的に先生をよけい怒らせてしまい、ますます先生の心証を悪くしてしまうのでした。 

 お仕置きの現場は、やはり授業中の教室が多かったです。松本先生は授業ではいつも真っ先に僕を当て、また一時間の授業中に何回も指名してきました。そこで何か先生の意に沿わないことがあれば、容赦ないお仕置きが待っていました。五月に入ってまだ間もない頃でした。その日、僕は理科の宿題を忘れてきました。前日の夜遅く気がついてやろうと思い、何行かノートに書いたところで寝てしまいました。朝起きたらもう時間がありませんでした。松本先生に睨まれていることはもう十分自覚していた僕は、いやな予感がしたまま授業を迎えました。教室はいつもより静かでした。たぶん宿題を忘れた生徒が他にも大勢いて、先生に指名されるのを恐れていたのです。僕もなるべく目立たないようにじっと下を向いていたのですが、やっぱり当てられてしまいました。そして教室の前の黒板に答えを書くように言われました。僕は一瞬躊躇しました。素直に謝った方がいいかな。でもそこで、僕のまた悪い習性が出てしまいました。僕は宿題をやってきたふりをして、何も書いてないノートを持って、その場で答えを考えて黒板に書こうとしたのです。でももう動揺しまくっているので、自分でも何を書いているのやら分からない有り様です。松本先生は怪訝な表情で僕に近づいてきてノートを取り上げ、パラパラとめくりました。そして僕に突き返すと言いました。「汚ねえ字だな」。教室がどっと沸きました。こうなったらもうまな板の上のコイです。いまさらじたばたしてもしかたありません。僕等の教室では机が六列並んでいましたが、松本先生は真ん中の二列の生徒に向かって、みんな少しずつ机を後ろに下げるように言いました。何が始まるんだろう。不安でドキドキしながら、僕はみんなが机を引きずる音を聞いていました。松本先生がもういいという位置までみんなが机を下げると、教卓の真後ろのところに四角く空いたスペースができました。松本先生はそれから僕の方を向いて、教卓に両手をついてその空いたスペースに立つよう命じたのです。クラスメートに横から後ろから囲まれる形でお仕置きされる羽目になりました。松本先生は教室の後ろから竹ぼうきを持ってきました。「もっとちゃんとケツを後ろに突き出せ!」。廊下の窓が開いていて、誰も通らなければいいなと思いながら先生のお仕置きを待ちました。竹ぼうきで思いっきりお尻をひっぱたかれると、ほうきの埃が教室に舞いました。僕はそれからも教卓の真後ろのこのスペースによく立たされることになりました。机を動かす音は隣の教室まで筒抜けでした。だから理科の時間に机を動かす音がすれば、「あ、お仕置きだな」と隣のクラスの生徒にまでバレてしまうのでした。

 理科室の授業では、実験の注意をちゃんと聞いていなくてよくお仕置きをされました。危険な薬品も使うので、怒られてもしかたないのですが。よそ見をしながらあくびをしていたとか、先生の許可が出る前に席を立ったとかで、松本先生はいつも僕の席にすっ飛んできました。そして自分の机に両手をつかされてお仕置きされるのです。理科室では松本先生は肌身離さず一メートル定規を持っているので、お仕置きはたいていその一メートル定規でした。僕が初めて松本先生にお尻をひっぱたかれた、あのすごく痛いヤツです。理科室では四人の生徒が二人ずつ向かいあって一つの机に座りました。その四人が、実験をする一グループになります。向かい側の二人は女子なので、女の子達に顔を向けてお仕置きされる格好になるのです。床に硫酸をこぼしてすごく怒られたことがありました。そのときもいつものように自分の机に両手をつかされ、一メートル定規で思いっきりお尻をひっぱたかれました。二人の女の子は僕の方をじっと見つめていました。茶化すふうでもなく、同情するふうでもなく、ただ事件の目撃者としてちゃんと見ておこうといった感じでした。普段のお仕置きでは生徒の前で横を向かされるか後ろを向かされるかのどちらかなので、こんなときはいつも目のやり場に困りました。なるべく痛さを我慢して澄ましていようと思ったのですが、とても無理でした。二人に僕がお尻をひっぱたかれる瞬間の苦痛の表情を、またしっかり見られてしまった。「厳しいお仕置き……定規が折れるかと思ったわ」「ねえ、座ってるの痛いでしょ。お尻、熱くない?」……「うん。でもなんて頑丈な定規なんだ。まだお尻がヒリヒリするよ。痛えーッ!」。お仕置きされたばかりの授業では、お尻が痛くてじっと座ってはいられません。おまけにおしゃべりもしていたので、松本先生に不真面目な態度だととられてしまいました。「コラッ、先生の注意をちゃんと聞いてろと言っただろ! 何度でもケツひっぱたきに行くぞ!」。実際一時間の授業中に、二度、三度と松本先生にお尻をひっぱたかれることもしばしばありました。

 理科の授業以外でも、松本先生は特に僕等のクラスのホームルームにはよく姿を見せました。担任の先生が休んだときはもちろん、学年主任としていちばん心配なクラスだというのです。朝のホームルームは、遅刻常習犯になっていた僕にとって、もう一つの危険な時間帯でした。遅刻したときはまず教室の外に立ち止まってそっと聞き耳をたてます。もし中から松本先生の声が聞こえてくるようなら、先生が出ていくまで廊下の隅にそっと隠れているのです。でも見つかってしまうことがよくありました。そういうときには松本先生は僕の首根っこを押さえてまた教室に戻ります。そして僕はやっぱり教卓か前の黒板に両手をつかされます。「どうして僕にはいつもお尻の体罰なんですか?」。遅刻したある朝のホームルームで、僕は松本先生に恐る恐る聞いてみました。すると先生はうすら笑いを浮かべて、教室中に聞こえる声で言いました。「おまえのような子には、ケツをひっぱたくのがいちばん効き目があるんだ」。そしてワイシャツの両袖をゆっくり肘までたくしあげました。僕が観念して教卓に両手をつくと、松本先生は左手を僕の腰の上に当てました。それから背中の方で手のひらにハーッと息を吐きかける音が聞こえると、僕はお尻をピシャッと平手打ちにされたのでした。

 一発お尻をひっぱたかれる毎に、僕と松本先生の絆はいやでも深まっていく気がしました。僕が松本先生を抵抗しつつも密かに慕っていくにつれて、先生は僕を叱りとばしながらも心の中ではより強く抱きしめてくれている、僕はそう感じていました。先生に黙って腕組みをして睨みつけられれば、僕はヘビに睨まれたカエルのように目の前の教卓に両手をつくほかありませんでした。もう逆らうことのできない「掟」が、僕と松本先生の間にしっかりと築かれていきました。

------------------------------------------------------------------------------
<第五章 パドルのお仕置き(進路のことで心配をかけて)>

 松本先生に初めてお尻をひっぱたかれてから、もう三カ月が過ぎていました。いまでは僕のお仕置きはもうクラスの日常的なイベントになっていました。僕はどんどん"悪い子"になっていました。勉強はまったくしなくなりました。その頃、松本先生から家によく電話がかかり始めました。話題は進路のことでした。僕の数学の成績が下がりだし、このままだと志望校に入れないというのです。担任だった森田先生はまだ進路指導に慣れていないため、慎重でした。そして志望校の変更を両親に打診していました。両親は気をもむと同時に、とくに母は森田先生を頼りないと感じていました。そしていつの間にか松本先生と母との間にホットラインができあがっていました。松本先生は母の味方でした。いまから頑張れば十分に受かるというのです。松本先生のキャリアと自信に満ちた語り口は、母を安心させました。「松本先生の言うことをちゃんと聞きなさい」、母は僕に繰り返しそう言いました。僕は周りのそんな空気を、まるで他人事のように考えていました。松本先生はどうして僕の進路指導にはあんなに熱心なんだろう。学校ではいつも僕のお尻ばっかりひっぱたいているくせに。それにどうして母まで先生の肩を持つんだろう。どこ吹く風といった僕の態度は、だんだん周りを苛立たせていきました。

 ある日、親子面談を僕の家でしたいという松本先生からの提案が母にありました。すでにほとんどの生徒は、放課後学校で済ませていました。僕の場合にはいろいろと相談したいことがあるので、特別に時間を割きたいというのです。その言葉に母は心を動かされたのでした。親子面談の日程は、僕の知らないところで勝手に決められました。ある土曜日の午後、松本先生は家に来ることになったのです。当日になってそのことを聞かされた僕に反抗心が起こりました。それに三人で面談なんて、とても耐えられない。僕は家をそっと抜けだし、スッポカシました。その後にきっと厳しいお仕置きが待っていることを覚悟のうえで。ひたすら謝る母に、松本先生はそれほど驚かなかったそうです。そして先生は、自分の教育観を母に熱っぽく語り続けたのでした。話題は子供の躾についてでした。松本先生はとくに海外の初等教育の関係者に知り合いが多く、関心も持っていました。アメリカでは州によってパドルを使ったお尻の体罰があること。イギリスで伝統的に学校で実施されているケインの体罰。またドイツでは聞き分けのない七歳くらいの男の子のお尻を、父親が街中で容赦なくひっぱたくのを見たという自らの体験談などを母は聞かされました。そのとき母は、どうしてそんな小さい子の話ばかりするのかと不思議に思ったそうです。それから話題は中学のことに移りました。中学生はいちばん肉体的にも精神的にも、成長にばらつきの大きい年頃なのだと先生は言いました。だから一律の指導では効果がなく、その子の成長の度合いに見合った躾が必要だ、それが松本先生の考えでした。それから僕の中学での話が始まりました。この数カ月の僕の怠惰でわがままな行状が暴かれていきました。その罰としてこんなお仕置きをしたら、僕の生活態度はとりあえずこんなふうにまで改善されたといった実例が延々と続きました。そこまできて、母は松本先生の思いがわかったと言います。要するに僕は甘やかされて育てられ、幼児期にとくに男の子には絶対に必要だった体罰を伴う躾がなされていない。そして中学生といっても精神的にはまだ子供なので、その分いまこそ厳しい躾が必要だ。松本先生の主張に母は納得せざるを得ませんでした。「男の子ですから、まあ、お尻なら……。叩くときはなるべくお尻にしてやってください」。松本先生は自分も暴力的な教育には反対であり、お尻以外の場所は絶対に叩かないときっぱり答えました。「でも下手に手加減をすれば子供は必ず大人を見抜くので、叱るときは徹底的に叱りますよ」とも付け加えたそうです。 

 月曜の朝のホームルームには松本先生が現れました。先生は僕に、四時間目が終わったら理科室の隣の小部屋に来るように言いました。教室に冷ややかな空気が流れました。そこはみんなが"説教部屋"と呼んで恐れている場所でした。先生が出ていくと、「お仕置き」「お尻」といった言葉が教室のあちこちから聞こえてきました。なんだかみんな楽しそうだなと思いました。四時間目の体育が終わると、僕はそのままその小部屋に直行しました。まずお説教が始まりました。自分のこと、両親のことをもっと真面目に考えろ、と。僕はほとんどうわの空でした。おなかが空いていたのと、どうせ説教の後はお仕置きなんだという気持ちがあったからです。何でお尻をひっぱたかれるのかと先生の目を盗んでは部屋のあちこちをキョロキョロしていたら、突然松本先生はお説教を打ち切りました。あ、怒られる、と思った瞬間でした。松本先生は力ずくで僕をうつ伏せにして自分の膝の上に乗せようとしました。僕が強く抵抗すると先生は、体操着のショートパンツからむき出しになっている僕の二本の太腿を、束ねるようにして空中へ抱えあげました。突然体を逆さまにさせられた僕は、慌てて床に両手をつきました。今度は先生は僕の下腹のあたりに左手を回し、うつ伏せにして両手で乱暴に抱え上げると、自分の膝の上に僕のお尻のあたりを乗せました。まな板に乗せられた魚の気持ちというか、ここに乗せられたらもう負けだという気がしました。先生は僕の腰回りをしっかり両手で抱えたままグッと手前に引き寄せました。さあお仕置きだ、もう逃げられないんだぞ、というように。こんな無様な格好でお尻をひっぱたかれるなんて。先生の意地悪。バシッ! きっとこのために用意してあった大きなしゃもじのような木のパドルが、まず一発、僕のお尻で音をたてました。「痛えッ」「コラッ! 暴れるんじゃない!」。でもこれは、ほんとうに息が詰まるくらい痛かったです。先生はもう一度僕の腰回りを左手ですくうようにして抱え、自分のベルトのあたりまでグッと引き上げました。それからむき出しの僕の二本の脚を揃えるようにして手前に寄せました。これで先生の膝の上を、僕のお尻がちょうど直角に横切る格好になりました。そんなに先生の思い通りにさせてたまるか。僕は思い切り両脚をバタあしのように上下に動かそうとしました。すると先生は左手のひらを大きく広げて、僕の太腿の裏側を二本まとめて押さえつけました。その体勢のまま右手をクロスさせるようにして、四、五発続けてまたひっぱたかれました。もうお尻全体がすっかりしびれていました。丸いパドルは僕のお尻をすっぽりと覆う大きさだったので、一発毎にお尻全体をひっぱたかれてしまうのです。しかもパドルの柄が短いため、息つく間もなく次の一発がやってきました。最初はそのお尻の痛みの相乗効果に耐えられず、僕は必死で体をよじろうとしました。でもすぐにすっかり抵抗を諦めざるを得ませんでした。暴れれば暴れるほどもっと大きな力で押さえ込まれ、先生を怒らせるだけだと思い知らされたためです。「おとといはどうした! 正直に言うんだ!」「先生、ご免なさい」。松本先生はその姿勢で僕を膝に乗せたまましばらく手を休めていました。が、やがて今度はおもむろに左手を僕の腰の上に添えました。突然またパドルがお尻に打ち降ろされ始めました。バシッ!、バシッ!、バシッ!……。パドルは前よりずっと高い位置からより力を込めて、強烈な七、八発。先生は黙ってひっぱたき、僕は黙ってひっぱたかれました。それはまるで何かの儀式のようでした。痛いとかなんとかもう声も出ません。ともかくこの儀式を済ませてしまうしかないのです。やっとお仕置きが済んだときにはもう僕のお尻は全体が熱く腫れ上がっているのがわかりました。

 お仕置きが終わると、僕は生徒用の硬い木の椅子に座らされました。お尻はもちろんまだすごく火照っています。冷たい椅子に座ると、ひっぱたかれた自分のお尻の輪郭がはっきりとわかりました。松本先生はまだ怖い顔をしていました。そのパドルは昔小学生を教えていたとき、悪戯した男の子を懲らしめるために使ったものだそうです。「どんな子がこれでひっぱたかれていたんですか?」と聞いたら、「おまえみたいな子だ」と言われてしまいました。先生が教えていた三〜四年生の男の子のお尻に、ちょうど合うサイズのパドルがこれだったそうです。松本先生は僕のお尻に当たった方の面を撫でながら、久しぶりに使ったパドルの状態を確認していました。まだ十分使えるな、と納得した表情で。「今度からはこれでケツひっぱたくか……」。僕は黙ってそのパドルを見やると、思わず肩をすくめました。

------------------------------------------------------------------------------
<第六章 夏休み前後のお仕置き(勉強を怠けてばかりいて)>

 僕が松本先生の膝の上で小さい子みたいにしてお尻をひっぱたかれてしまったことは、すぐに知れ渡ってしまいました。先生は職員室や他のクラスでの雑談の中で、僕をお仕置きしたときの様子などをよくしゃべっていました。誰もが先生のお尻の体罰を支持し、僕の方が悪いと言いました。確かに先生は、僕を何とか志望校に入れようと真剣なのが、誰の目にもわかりました。でも先生が真剣であればあるほど、僕はどうにも素直になれませんでした。親と先生に敷かれたレールの上を歩かされるのが嫌だったのです。そしてつい、先生を挑発してしまうこともしばしばでした。一学期の終わり頃、理科の時間に小テストがありました。今度の期末試験は内申書にもろに響くので、その前に生徒の学力を調べて適切な指導をしておこうという配慮からでした。そしてそんな松本先生の親心を、僕は踏みにじってしまったのでした。ろくに勉強していなかった僕は、ほとんど解答欄が埋りません。困ったな。ふと斜め前を見ると、そこは美佐江の席でした。答案用紙はきっちり埋っていて、余裕で見直しをしています。もともと視力がよかった僕には、美佐江の答案が丸見えでした。しかも向こうは全くの無警戒。これで満点とれるかな。僕のなかに悪戯心がわきあがってきました。

 その日の放課後でした。まず美佐江が職員室に呼ばれました。松本先生は最初から美佐江をシロだと考えていました。日頃の行い、席の並び方、怪しいのが僕なのは疑う余地がありませんでした。「松本先生が呼んでるわよ」。そう美佐江に告げられて僕は職員室へ向かいました。松本先生はがらんとした職員室で待ち構えていました。先生は単刀直入に切りだしました。「カンニングしたな」「いえ、してません」「じゃあなんで美佐江の答案と一字一句同じなんだ」「そ、それは……一緒に勉強したからです」。会話はこれで終わりました。僕は松本先生の椅子の背に、椅子の後ろ側からうつ伏せに乗せられました。僕のお尻は先生の椅子の背の真上で、斜め上方に向けて高く突き出されていました。椅子の背が高かったので、ちょうど爪先立ちで座面の両脇に両手でしがみつくような格好になりました。松本先生は来客用の底の厚いスリッパを持ってきました。「カンニングしただろ! 白状しろ!」。大きな黒いスリッパが斜め上の方向から僕のお尻に思い切り振り降ろされました。パーン!……。「は、はい。しました」。それからがらんとした職員室に、僕のお尻の音だけがパンパンといつまでも響き続けました。

 職員室でも僕はしばしば松本先生にお仕置きをされました。たいていは放課後で人けのないときでしたが、花瓶の水を取り替えに来た二年生の女の子にお仕置きの現場を見られたことがありました。女の子は平静を装っていましたが、何日か後に僕が松本先生の膝の上でお尻を平手打ちされていたという噂が、下の学年から僕等のクラスにまで伝わってきていました。担任の森田先生にも何度かお仕置きの現場を見られました。森田先生は新任のためか、よく遅くまで一人職員室に残っていました。お仕置きの後に二人だけになり、声をかけられたこともあります。「また何か、悪戯したんでしょ」「悪戯なんてしてません。夏休みの宿題を忘れただけなんです」「そうなの……でもそれは、あなたが悪いのよ」「……」。森田先生は体罰には反対でしたが、松本先生の指導には一目置いていました。松本先生は生徒の個性を一人一人よくつかんでいる、そういつも森田先生は関心していました。

 一学期の終業式の日でした。「松本先生から、何か話があるそうよ」。森田先生はそう言うと、教室の前の窓のそばに立って松本先生を待ちました。ほどなく松本先生が入ってきました。もうその様子からして怒っているのがわかります。じつは全部の期末テストを集計した結果、僕等のクラスの平均点が最悪で、それも10点以上も離されている。松本先生はまずその事実を告げました。それから先生は、一人一人の成績を二年生のときのものと比べてみたそうです。するとなかには「ものすごく下がっているヤツがいる」。松本先生は僕の顔を見据えてそう言いました。それから松本先生は、期末試験期間中の僕の行動を問いただしました。「毎日家で、ちゃんと勉強してました」「ウソを言え!」。確信に満ちた声で先生は言いました。じつは僕は毎日、通学路の途中にあるゲームセンターで遅くまで遊んでいました。そこは昔僕等の中学の生徒の溜まり場になっていた場所で、非行の温床になりかねないとある時期問題になり、出入りが禁じられている場所でした。とはいえ先生達の目を盗み、みんなこっそり遊びにいってはいたのですが。僕を見た生徒の誰かが告げ口をしたのか、それとも帰りが遅いのを不審に思った親が先生に連絡を入れ調べられたのか。ともかく僕の放課後の行動を、松本先生はしっかりつかんでいました。おまけに無残なテストの成績、弁解の余地はありませんでした。

 僕は松本先生に教室の後ろに連れ出されました。そこには僕の胸の高さくらいの棚がありました。松本先生は僕を後ろから抱き上げると、僕の上半身をうつ伏せにしてその棚の上に乗せました。僕はお尻のところでちょうど体を直角に曲げた格好にさせられました。両脚をブラブラさせながら、僕は上半身を起こして後ろを振り返ってみました。するとみんな、席に着いたまま体を後ろによじるようにして僕の方を見ていました。とくにいちばん窓側に座っていた優子は、自分の席からでは角度がなくてよく見えないとばかりに、身を乗り出すようにしています。優子の少し後ろには森田先生が立っていました。森田先生は悪戯っ子を見るように僕を見て、下唇を噛んで薄笑いを浮かべていました。松本先生が卓球のラケットを持って僕のほうに近づいてきました。このクラスの卓球部のラケットを教室のどこかで見つけたのです。誰のだろう。女子のかな。イヤだな……。僕はしかたなく後ろの黒板のほうへ向き直りました。「コラッ!、いつまでも脚をブラブラさせてるんじゃない!」。松本先生は呆れたような口ぶりでそう言うと、僕のお尻の真ん中に卓球のラケットをピタッと当てました。「じっとしてろよ。さもないと何発でもひっぱたくぞ!」。それから数秒の間に、ラケットが僕のお尻に二、三度触れました。バシッ!という力強い音とともにラケットは僕のお尻をすっぽりと捕えました。

 一学期も終わり夏休み。やっとしばらくはこれで松本先生のお仕置きから解放される。そう思ったのもつかの間でした。じつはこの夏休み、姉の知り合いの大学生が受験勉強を教えに家庭教師として家に来ることになっていました。僕は予備校でいいと強硬に主張したのですが、それでは勉強するはずがないと姉などが猛反対したのです。英語や国語は自分が教える、だから数学には家庭教師を、姉はそう提案しました。弟思いのお姉さんの言うことを聞きなさい、両親もそういう雰囲気になり、僕は渋々この提案を受け入れました。ところが、夏休みが始まって直後、この大学生の実家に突然の不幸があり、急きょ実家に帰ることになってしまったのです。その後、姉は自分が提案した責任上、いろいろな代替案を考えたようです。そして出てきた結論は、僕にとっては最悪のものとなりました。なんと松本先生の家に通って、僕が先生に直接数学を教わるというものです。そう言えば姉は松本先生の教え子でもあり、先生の家もよく知っていました。もっとも、模範生だった姉にはお仕置きの体験などありません。元教え子の懇願でもあり、松本先生は快く引き受けてくれたといいます。「『よーく覚悟しておくように』だって……」。姉は口元に薄笑いを浮かべながら、冷ややかな口調で松本先生の伝言を僕に伝えました。

------------------------------------------------------------------------------
<第七章 夏休みのお仕置き(先生の個人授業で悪い生徒だったため)>

 夏休み、とうとう僕は松本先生の家に通わされる羽目になりました。「松本先生が家で直々に数学を教えてくれるそうよ。よかったわね」。母にそう言われると、僕はもう逆らえませんでした。僕はデニムの半ズボンをはいて、バスで松本先生の家まで通い始めました。半ズボンをはいていると僕は小学生にしか見えないので、バスには子供料金で乗れました。バスの欠点、それはよく遅れることです。通い始めて2日目のことでした。バスがひどい渋滞に巻き込まれてしまったのです。初めは余裕だった僕もただいたずらに過ぎていく時間に焦りを覚え始めました。うちの傍のバス停から松本先生の家まではおよそ20分ちょっとかかります。問題は最後に踏切を渡るのですが、そこまでに最低でも5分前には着いていないと危ないのです。ところがその日は、もう1分前くらいでした。そこで無情にも警報音が聞こえ、遮断機が降り始めました。僕は思わず立ち上がってしまいました。次の瞬間、バスは急ブレーキをかけて停車しました。そんな……。ここの踏切は駅に近く、上りが入ってくると次に下りが出ていくので開くまでに5分間は覚悟しなければならないのです。「僕、どうしたの? 顔色悪いよ」。前の座席に座っていたおばさんに不意に声をかけられました。それくらい深刻な顔をしていたのでしょう。中三の自分が“僕”と呼ばれたのにはちょっと心外でしたが、「大丈夫です」と答えて気を取り直し座席に着きました。もう諦めの境地になっていました。おまけに踏んだり蹴ったりというか、その日は休日ダイヤで特急の通過待ち合わせまである始末です。松本先生の家の近くのバス停で降りた時、もう10分間の遅刻でした。時間に厳しい先生のことだから、きっと怒ってるだろうなあ。少し離れた場所から恐る恐る玄関の所を覗くと、そこに松本先生が腕組みをして立っていました。先生は目ざとく僕を見つけました。「走って来い! 走って!」。先生に大声で怒鳴られて仕方なく、気のないジョギングのような感じでちょっと走ってみせました。「コラッ! チンタラ歩いて来るヤツがあるか!……お仕置きだ! 入れ!」。先生の家に入るなり、僕は靴箱の上に両手をつかされました。松本先生は靴箱の扉を開くと、いちばん頑丈そうな長い茶色のプラスチックの靴ベラを取り出しました。僕が観念してお尻を突き出すと、少しして靴ベラの先が僕のデニムの半ズボンのお尻に触れました。これで靴ベラの形が、先に向かって少しずつ広がっているのがわかりました。ピシャッ……。その靴ベラでは遅刻の度にお尻をひっぱたかれました。その靴ベラが玄関の所に吊してあったりするのを見ると、僕は先生や先生の家族がそれを使って靴を履いている姿を想像しました。僕のお尻に当たったあたりは、ちょうど靴の踵の所になるんだなと考えたりして、何だかちょっとドキドキしました。

 僕は二階の先生の書斎で勉強を教わりました。宿題を忘れたり忘れ物をすれば、必ず出窓の所に両手をつかされました。そして半ズボンのお尻を、竹刀やパドルで思いっきりひっぱたかれました。例えば作図の時間にコンパスを忘れたことがありました。僕がコンパスがなくてもじもじしているのを松本先生は黙って見ています。先生の机の上には予備のコンパスがありますが、正直に白状してお仕置きを受けた後でなければ、それは使わせてはもらえません。「どうした、早く描けよ」「……」「また忘れたのか? 忘れたなら『忘れました』と早く言え! 何度同じことを言わせるんだ!」。宿題を忘れた時も同じ調子でした。「ほんとにやってきたのか? ノートを見せてみろ!……どうしてすぐわかるウソをつくんだ!」。出窓に両手をつかされてお尻を突き出して立っていると、松本先生がいつも本気で怒っていることがよくわかりました。僕はその度前の方に吹っ飛ばされないようにと、両手両足に力を入れて精いっぱい踏ん張るしかありませんでした。

 松本先生はときどき思いついたようにテストをしました。出来が悪かったときにはもちろんお仕置きです。先生はその場でテストを採点します。ハラハラドキドキしながら結果を待ちます。先生のテストには何点とれば合格という基準点はありません。要するに、先生が気に入らなければお仕置きされるわけです。最初のテストがそうでした。僕には思った以上に出来たという感触があったのですが、なぜか松本先生はひどく不機嫌なのです。そして出窓に両手をつけと言われ、いつものお仕置きの姿勢をとらされました。その日松本先生は、僕を出窓に手をつかせたまま残し、一人部屋を出ていきました。そしてなかなか戻ってきません。外を見やると先生は庭に出ていました。何かを取りにいっただろうことは想像がつきました。しばらくすると、大きな木の布団叩きを手にした先生の姿が僕の視界に飛び込んできました。先生は庭の物干し台にまで、この布団叩きを取りにいっていたのです。エーッ! あれでお尻をひっぱたかれるの?……。僕は苦笑しつつ思わずつぶやいてしまいました。母が家の物干しで布団を叩いている姿が頭に浮かびました。どのくらい痛いのかはわかりません。ただパン、パンというそこらじゅうに響く大きな布団叩きの音が、僕の脳裏に鮮明に蘇ったのです。恥ずかしい……。松本先生が戻ってくると、僕は最後の抵抗を試みました。「先生、どうしてお仕置きされるんですか?」「話は後だ」。いつにない屈辱感がありました。突き出した半ズボンのお尻を覆うほど大きな布団叩きが一回、二回と僕のお尻に触れました。先生はいつになくじっくりと、自分の叩きやすい姿勢やポジションを探っています。……パシッ!。僕のお尻からいやになるくらいの大きな音がしました。その音は布団の音とは少し違っていて、何かにめり込んでいくような響きがありました。痛さも強烈でした。僕は顔をしかめたままお尻の下に両手を敷いて、そっと自分の椅子に座りました。僕がしょんぼりしていると、先生は今日のお仕置きの理由を懇々といつになく優しい口調で語り出しました。理由は僕が殴り書きで答案を書いたことにありました。「いいか、下手でもいいから丁寧に書け。おまえの答案にはおまえの性格がよく出ている。投げやりで、少しでもいい点をとろうという必死さがない。試験官がおまえの答案を見てどう思うか、それを考えて書くんだ」「……」「おまえは根は素直なんだが、一言で言うといつまでたってもガキだな。……まあ本番ではきっと、先生にこうしてケツをひっぱたかれたことをいやでも思い出すだろう」。

 松本先生がいろんな道具を使って僕のお尻をひっぱたこうとするとき、僕には先生がまるで理科の実験をしているように見えました。叩きやすさとか、お尻へのダメージとかいろいろ想像してみては、僕に聞こえるような声で一人言をいうのです。先生に言わせると布団叩きは真ん中を風が抜けるので、物理的に速いスピードでより強くお尻をひっぱたけるのだそうです。書斎に響く自分のお尻の音を聞かされているのはたまらない屈辱です。でもそのお尻の音が先生の家じゅうに聞こえていると思うと、顔から火が出るくらい恥ずかしい思いがしました。書斎のすぐ真下はキッチンになっていました。先生の奥さんは僕のことをよく気づかってくれました。晩ご飯をご馳走になったり、夕立ちがきそうだからと傘を持たせてくれました。先生の家には娘さんしかいないのですが、ほんとうは男の子が欲しくてしかたなかったのだそうです。「いやなことがあったらいつでも言ってね。お尻、大丈夫?」。僕が先生にひっぱたかれたばかりのお尻を痛そうにしてソファに座っていると、心配そうにそう言われました。「はい、大丈夫です。やっぱり聞こえてました? 今日もまた、先生にお仕置きされちゃった」。僕は悪戯っぽく答えました。僕のことは先生からよく聞いているらしく、「愛のムチはわかるけど、お尻の体罰もほどほどにしてあげてね」とも言ってくれたそうです。僕は真顔になって言いました。「でもうちの母が、松本先生に厳しくしつけてもらいなさいって」。先生の奥さんは少し安心したように微笑んで僕を見つめ、小さくうなずきました。

------------------------------------------------------------------------------
<第八章 中三秋のお仕置き(授業中よそ見や欠伸をしていたため)>

 中三も二学期が深まってくると、僕等の身辺も少しずつ慌ただしさを増していきました。高校受験、そして卒業に向けたイベントの準備など。二学期の後半からは卒業アルバム製作に向けた動きも始まっていました。僕等のクラスからも、その製作に携わるアルバム委員が二人選ばれました。そのうちの一人が、千秋という女の子でした。千秋はいま思い出してみても変わったタイプの子でした。一言で言えば、この年頃の少女には珍しく、一匹狼タイプなのです。ルックスは、けっこうクラスでは目立つ存在だったと思います。だけどなぜか浮いた噂がない。同年代の男の子は、何となく煙たさのようなものを感じて敬遠してしまうのです。僕は千秋とは小学校の高学年から同じクラスで、割合ウマが合いました。千秋と話していると、男友達と話している感覚になってきて、僕は一緒にいても疲れない子だなと思っていました。小学校高学年時代の担任は若い女の先生でしたが、男女平等主義だったので時折悪戯したりした女の子のお尻を教室で叩いていました。とはいえお仕置きのターゲットにされた女の子は数人で、まず優子、そして千秋もその一人でした。千秋は優子のように先頭に立って悪戯するタイプではありません。むしろ素行的にはおとなしいのです。でもなぜかお仕置きのターゲットにされてしまう。僕は千秋が先生にお仕置きされる現場を数回目撃しています。微妙な年頃でもあり、女の子はそういう立場に立たされるとべそをかいたり、優子のように照れ隠しにわざと気丈に振る舞ったりと様々な反応を見せます。ところが千秋の場合、じつに堂々としているのです。騒いでいた何人かの生徒がその場に立たされて、先生が一人ずつお尻を叩いてまわったことがありました。女の子は千秋一人でしたが、先生が彼女のお尻を叩きに来るその瞬間まで、千秋は横の席の女の子と談笑していました。先生に立たされてお説教される時でも聞いていないことが多く、「千秋さん、しょうがない子ねえ」と先生がお尻を叩きに千秋の席に向かって行くこともときどきありました。

 さてそんな千秋には写真という誰もが腕前を認める趣味がありました。千秋がアルバム委員に選ばれたのはその腕を買われたからです。卒業アルバムにはクラスのスナップ写真が欠かせません。千秋には日常のありのままの姿を撮るのがスナップだという信念がありました。「はい、チーズ」と言ってみんなでポーズをとるような写真は、千秋の最も嫌うところでした。そういう職人気質のプライドから、千秋はほぼ隠し撮りに近い形でクラスのスナップを撮ると宣言しました。ただし、アルバムに載せる際には問題になりそうな写真は本人の承諾をとる、と。千秋には彼女なりの構想があったようです。日常のクラスの光景、先生に叱られている生徒の姿というのもその一つに当てはまります。そしてその被写体として僕が狙われていることを、僕は優子から聞いてびっくり仰天しました。千秋ならやりかねない。二学期になっても、松本先生の僕へのお仕置きはほぼ間断なく続いています。その気になればシャッターチャンスはいくらでもあるのです。それ以来、僕は松本先生に教室の前に出される度、千秋の存在を意識しました。黒板に、教卓の横に両手をついてお尻を突き出しながら、こんな姿、撮られたら嫌だなあと。

 しかし、その決定的瞬間を教室で捕らえられてしまったと確信したことが、少なくとも二度ありました。一度目は僕が授業中よそ見をしていたことが原因でしたが、教卓の横に両手をつかされ、先生が一メートル定規を僕のお尻めがけて思い切り振り下ろしたその瞬間でした。ストロボの光らしきものがはっきりと……。松本先生は生徒に背を向けて立っていて、お尻を叩くまさにその瞬間ですからそんな光に気づく余裕はないでしょう。もちろん自分が被写体になっていることなど思いもよらないはずです。二度目は授業中ちょうど欠伸をしていたところを見つかって、前の黒板に両手をつかされました。この時のお仕置きは平手打ちでした。後ろ向きの姿勢なのになぜ気づいたかと言えば、僕が先生にお尻をひっぱたかれた直後、教室が急にざわめいたからです。僕はすぐに振り返って千秋の席を確認しました。カメラはどこにも見えませんでしたが、「撮ったわよ」と顔に書いてありました。千秋は憎たらしい含み笑いを浮かべて僕をじっと見ていました。

 これらの写真は僕は見ていません。おそらくアルバム製作の過程で、これはやはりまずいだろうということになったのではと想像します。僕には何の話も伝わってきませんでしたから。しかし、千秋の写真家魂はこれでは収まらなかったようです。その代わりに相当するような写真が、アルバムにひときわ大きく載ってしまいました。それはクラスのドッヂボールで、逃げ遅れた僕のショートパンツのお尻に狙い澄ましたようにボールが当たるまさにその瞬間の写真でした。ボールのスピード感が程良いブレとなって表現されていて、さすがに上手だなあと納得せざるを得ないスナップ写真でした。

 やはり二学期の後半のことでした。この頃になると、土曜日の午後などによく松本先生がわが家を訪れるようになりました。もともと松本先生の通勤コースのほぼ途上にうちがあります。それ以外にもうちを訪れなければならない理由、訪れやすい理由が存在していました。前者のほうからいえば、受験生の学年主任という立場上です。僕は学年の中でもかなり問題になっている受験生でした。どういうことかというと、内申書の成績といわゆる模試の成績に極端な開きがあったのです。内申書のほうが極端に悪い、要するに普段の授業態度が悪いからじゃないかと言われればそれまでなのですが。しかし、松本先生は違った見方をしていました。内申書はその担当の教師の主観に左右される、高校に入って通用するのは模試で点数の取れる生徒だと。この考え方は校内では少数派、いや松本先生一人だったかもしれません。それが松本先生が僕の進路指導に熱心になる大きな理由であり、また両親が松本先生に全幅の信頼をおいてすがっていた理由でした。後者の理由としては、僕の姉が松本先生の教え子であり、また松本先生の長女と同じ学年、同じバレー部に所属していたことなどがあります。それにうちの母親は若い頃教師をしていましたが、自分の息子のしつけに関しては甘やかしすぎて失敗したと反省していたようです。松本先生にはいろいろ教わることが多いと口癖のように言っていました。受験生を持つ親の不安心理もあり、「先生にすべてお任せします。どうかもっともっと厳しくしてやってください!」となってしまったのでした。学校での僕のお仕置きの実態は筒抜けなので、夕食の食卓での話題にもしばしば上りました。今度はそれを聞いたうちの母が僕の失態を嘆いていたことなどが、学校のホームルームや職員室などから聞こえてくるというサイクルになっていました。

 いままで松本先生の厳しいところばかり書いてきましたが、じつは優しいところもあったのです。それどころか校内一人望があったかもしれません。そのひとつの出来事に中三の春の修学旅行がありました。この時、僕は山道で捻挫してしまい、歩けなくなりました。担任の森田先生が困っている時に、僕をおぶって山道を降りてくれたのが松本先生でした。先生は笑いながら言いました。「お前はほんとうに軽いなあ。ちゃんと食わないと駄目だぞ」。僕が先生の背中からずり落ちないように、僕のお尻を両手のひらでしっかり支えながらでしたが、山道を降りるスピードは誰にも負けていませんでした。いつも叩かれていた先生の手のひらが、すごく温かく思ったより柔らかく感じました。中学の卒業が迫ってくると、お仕置きばかりであれほど嫌だった松本先生の、こんなところもあったんだなあという思い出がなぜか鮮明に甦ってきました。僕が先生に甘えていて、すべては自分が悪かったことはわかっていました。これからは悪さをしても、もう厳しくお仕置きしてくれる人はたぶんいない。それがほんとうに嬉しいことなのか‥…。卒業を前にして、僕は複雑な心境に駆られていました。

 でも心の中ではそう思ったりしても、すぐにすねてしまったりするところが僕の子供たるところなのでした。中学最後のお仕置きはもう卒業間近い三月、きっかけは理科室での最後の実験の授業にありました。一年前のお仕置きの始まりもこの理科室で、忘れ物が原因でしたが。授業の後、僕が実験用具をちゃんと片づけていかなかったことが、松本先生の逆鱗にふれてしまったのです。その日の帰りのホームルームの時間、松本先生は僕等の教室に現れました。手には理科室の一メートル定規を持って。松本先生は教室の隅で森田先生と何やらコソコソと話していました。最後に森田先生がうなずくと、松本先生が教卓の前に立ちました。森田先生は入り口のドアの傍に立って、松本先生を見ていました。松本先生は自分の中学時代の話を始めました。なぜ理科が好きになったか、そしてなぜ理科の教師になったのか。それは実験によって自然の成り立ちの不思議さや面白さに目覚めたからだと、そしてそれを次代の子供達に伝えたかったからだと。その実験用具を粗末にする者に理科を学ぶ資格はない、そう先生は断言しました。これは僕のことを言っているんだな。僕は怖くて顔を上げられませんでした。次の瞬間僕は名前を呼ばれ、その場に立たされました。松本先生はこの一年間のことをしっかり覚えていました。僕が試験管など実験用具をいちばんよく割ったこと。先生の注意をちゃんと聞かずに床に硫酸をまき散らしてしまったこと。用具の片づけはいつもおざなりで、ほとんど同じ斑の女子生徒に任せきりだったこと。そして最後の最後まで、その姿勢が改まらなかったこと。僕はうなだれて聞くほかありませんでした。「将来のこともあるしな。このまま許すわけにはいかない。どうしてケツをひっぱたかれなきゃならないか、わかるな」。松本先生は静かに諭すような口調で、しかしきっぱりと言いました。僕はなおもそのまま黙って下を向いていました。「早く前へ出ろ! お前のケツをひっぱたくと言ってるだろ!」。先生の口調は一変しました。しまった。本気で怒っている。さっきすぐに謝るべきだったのかな。僕は焦りましたがもう後の祭りです。教卓を横にずらして広々とした教室の前に出され、僕は黒板に両手をつかされました。松本先生はいつものように僕のお尻に十分狙いを定めて……バシーン!!……。それが松本先生の一メートル定規での最後のお仕置きとなりました。

------------------------------------------------------------------------------
<第九章 高三時代のお仕置き(私生活が乱れていたため)>

 松本先生のスパルタ指導のおかげで、僕は志望高に合格することができました。喜んだ両親は先生を家に招いたりして、いつしか家族ぐるみのようなつきあいにまでなっていきました。松本先生との絆に、僕はがんじがらめに縛られていくような気がしました。先生は確かに僕を可愛がってくれましたし、それが嬉しかったのも事実です。でも高校に入ると、そんな自分の気持ちに変化が起こり始めました。僕の入った都立高校は全くの自由でした。急に自分の世界が広がった気がしました。新しい仲間もでき、女の子も好きになりました。その頃から僕は、いままでの自分や自分を取り巻く環境に対して、深い嫌悪感を抱くようになりました。思春期の好奇心は自由を渇望し始めました。僕が好きになった香織という少女は、奔放で利発な子でした。仲間内のコンパなどがあると進んで参加し、酔っ払って公園で野宿したこともありました。半面成績は学年でもトップクラスで、大人達の信頼も集めていました。僕は香織の前で、自分をもっと大人に見せたいと思うようになりました。僕の心の中の針が反転したのです。僕は香織に負けないように酒や煙草を覚え、夜の盛り場をうろつき始めました。そしてスマートな大人の恋愛に憧れました。人並みにデートもし、ラブレターも書きました。でも実際に僕が夜、家で密かに見ていた夢は、香織の前で松本先生にお尻をひっぱたかれている自分の無様な姿でした。僕は夜の闇のなかで倒錯した自分の夢に溺れ、その溺れた分だけ自分を呪いました。香織は僕のことを「よくわからない」と言いました。「普通の男の子とちょっと違ったところがある」とも。僕が中学の頃、いつも先生に叱られて教室の前でお尻をひっぱたかれていたと自嘲気味にお仕置きの話をしたら、香織はいかにもおかしそうに笑いました。その快活な笑いには、この人はいったい何を考えているのだろうといった戸惑いがのぞいていました。同時に僕への哀れみの念も含まれている気がしました。僕は少しずつ、大人の男へと成長していく自信を失っていきました。

 いつしか僕の私生活は荒れ始めました。一年の頃はまだときどきは松本先生の家にも行っていたのに、先生がうっとうしくなり足も遠のきました。中三の頃、先生の家でお仕置きされたことを思い出すだけでもいやでした。両親は少しずつ不安を募らせました。あんなにお世話になっておいてという気持ちと、自分たちには息子の扱い方がわからないといった気持ちが同居していました。とうとう学校にも行かず、外泊を繰り返すようになりました。歯車は破滅に向かって回り始めていました。どっかで自爆してやろうか、そんな誘惑が僕の心をかすめました。この頃には大麻を手に入れてくれる仲間までできてしまいました。成績は下がり続けました。都立高校の先生は放任でした。三年になり、もうこのままほうってはおけないと母は考え始めました。僕を矯正させることができるのは、あの先生以外にないと。僕の居ないところで僕の最近の行状は包み隠さず暴かれ、善後策が話し合われていました。そして、夏休み直前、松本先生の呼び出しが不意にありました。他の生徒も何人も来るから、一度遊びに来いと。僕はその誘いを困惑しながらも受け入れました。たまには大人たちのご機嫌も少しとっておくか。それにいまの僕を知る者に中学の同級生はいない。進学のこととか聞かれたら、適当に答えておこう。そう考えて訪れた先生の家の雰囲気は僕の予想に反し、人の気配がありません。「いいから入れ」。玄関のドアを先生が閉めた途端、僕は自分が罠にはまったことを悟りました。「何をビクビクしてるんだ」「母から何か聞いたんですか?」。僕が恐る恐る先生の顔色をうかがうと、先生はそれを無視してお説教を始めました。「また甘えが始まったようだな。やっぱりケツをひっぱたかないと駄目か。お母さんとも約束したんだ。必ず反省させて帰すってな。いまからよーく懲らしめてやる。さあ、お仕置きだ!」。

 僕は二階の先生の書斎に連れていかれました。僕がはいていたデニムのショートパンツのお尻のすぐ後ろから、松本先生は僕をせきたてるように足音を響かせて階段を上ってきました。それから中学の頃のように、あの出窓のところに両手をつかされました。その窓からは昔と同じように向かいの公園が見え、小さな男の子たちがのびのびと遊んでいました。松本先生は僕に両手をつかせるとそのままじっとしていろと言い残し、階段を急いで下りていきました。お仕置きの道具を取りにいったんだな。何でひっぱたかれるんだろう。中三の夏休みが思い出されました。受験勉強を教わりに先生の家に通わされ、僕はいつもデニムの半ズボンをはいていてこの出窓に両手をつかされ、思いっきりお尻をひっぱたかれたんだ。あの頃の自分に返っていくようだ。いや、自分は何も変わってなんかいない。こうして先生に叱りつけられて、子供みたいにお仕置きをされるのがありのままの自分じゃないか。大人になろうなんて無理してただけだ。このほうが楽だし、このままずっとこうしていたい。よーし。松本先生に思いっきりお仕置きをしてもらおう。そんなことを考えていると、公園で遊んでいる子供たちがみんな僕のほうを見ているような錯覚に襲われました。松本先生が階段を上ってくる足音が聞こえました。その足音はだんだん大きくなってきて、さあいまからお仕置きしにいくぞ、と僕に覚悟を迫っているように思えました。僕ははいていたボーイズサイズのデニムのショートパンツのお尻を突き出して、先生が入ってくる瞬間を待ちました。松本先生が後ろのドアからゆっくりと入ってきました。脇の下から恐る恐る後ろを覗いてみると、竹刀の先が見えました。見覚えのある使い込まれた竹刀でした。中三の夏休み、僕のお尻をさんざん痛めつけたあの竹刀でした。

 先生はまず僕がちゃんとお仕置きの姿勢をとっているかを確認するかのように、僕のほうを見ながらゆっくりと、僕の背後を回り込むようにして出窓に近づいてきました。それからお尻のポケットに何も入っていないことを確認するために、突き出した僕の半ズボンのお尻の左右のポケットの上を撫で回すようにして触りました。僕は公園で遊んでいる子供たちを見ていました。その子供たちの自由な姿に、いまの自分のみじめな立場を思い知らされました。夏の西日がまぶしく感じられました。何回かの短く鋭い素振りで竹刀が空を切る音が聞こえました。先生はいよいよ自分の足場を決めたようでした。沈黙が訪れました。きっといま、先生は大きく竹刀を振り上げているに違いない。僕は心もちお尻を上げ、体を直角より少し鋭角に曲げました。竹刀が斜め上から振り降ろされると考え、先生が狙ったところを叩きやすいようにととっさに上げたのです。あの息をのむ緊張の時間がまたやってきました。長い静寂。いったいいつ、僕はお尻をひっぱたかれるんだろう。もどかしいことに、その瞬間がわからない……。バシーン! お尻のちょうどてっぺんのところに強烈な一発目。思わず膝がガクッと折れましたが、気を取り直してまたお仕置きの姿勢をつくりました。また長い沈黙が訪れました。僕には果てしなく長い時間に思われました。バシーン! 二発目は真横から、お尻の真ん中より少し下の部分に当たりました。あまりの痛さにイヤイヤをするように、僕は両手は出窓についたままお尻だけ横にひねりました。そして許しを請うように先生の顔色をそっとうかがいました。松本先生は竹刀を床に立てたまま仁王立ちでした。僕がまたお尻を突き出すまで、表情も変えずにずっとおし黙っています。その沈黙に圧倒されて、僕は諦めてまた窓の外のほうへ向き直り歯をくいしばってお尻を突き出しました。竹刀は一発一発、十分に間をとって狙いを定め、僕のお尻に飛んできました。そのたびに強い振動と焼けるような痛みが襲い、踏ん張って立っているのがやっとでした。

 僕のお尻をひっぱたいた後、ひと呼吸おいてから、松本先生は自分で声に出してその回数を数えていきました。数はなかなか増えてはくれませんでした。先生は最初に公約したとおり、僕のお尻をその竹刀で十発、めいっぱい力を込めてひっぱたきました。その十発目が終わると、僕はたまらずにしゃがみ込みました。その僕の頭の上に、松本先生の冷たい声が響いてきました。「今日からまた、先生が厳しくしつけてやる。怠けるなよ。罰はケツ叩きだ!」「……はい」。僕はお尻の下に両手を当てて先生を見上げると、そう返事をするのが精いっぱいでした。高三の夏休み、僕は受験の数学と化学を教わりに、また中学の頃と同じようにデニムのショートパンツをはいて松本先生の家に通い始めました。先生の書斎もまた僕のお仕置き部屋となり、バシーン、ピシャンとお尻の音は階下の台所によく響いていたそうです。

------------------------------------------------------------------------------
<第十章 高校三年秋のお仕置き(学校をサボったための学力不足で)>

 夏休みから松本先生にまた受験勉強を教わることになったわけですが、その頃の僕の学力は全くひどいものでした。だいいち、まだ選択科目も決まっていません。理科は一科目必要で、先生に「何を取るんだ」と詰問されました。僕が答えられずに黙っていると、「じゃあ化学にしろ。中学の頃、よく教えてやったしな」ということで、化学を取らされる羽目になりました。そこでまず試験をやらされることに。僕に与えられた時間は二日間しかありません。範囲は理論化学と無機です。先生に言わせると、学校の授業で当然習っているはずの基礎的問題ばかりとのことでした。しかし僕は、受ける前からもう諦めていました。何しろ授業はほとんど出ていません。教科書は学校のロッカーに入れっぱなしで、開いたことすらない始末です。期末試験を友達とカンニングして何とか単位だけはもらっていましたが、たった二日間勉強したっていまさら何点とれるやら。また松本先生、怒るだろうな……。

 結局何の準備もしないままテストが始まりました。当然、全くわかりません。何も知らないんだから答案の書きようもないのです。そこで僕の取った点数は、百点満点中の五点というどうしようもないものでした。松本先生は怒りを露わにして僕にその五点の答案を突き返しました。「学校で何をやっていたんだ。ふざけるのもいい加減にしろ! いまからこの足りなかった点数の分、お仕置きだ!」。先生は僕の目の前に椅子を引きずってきました。その座面にうつ伏せになって乗るように命令されました。僕はお尻のあたりを座面の上に乗せ、両手は前の床についてつま先立ちの格好になりました。先生は僕にその姿勢をとらせると、僕の目の先のカーテンレールに無造作にかけてあったハンガーからベルトをするすると引き抜きました。ついさっきまでは気にも留めていませんでしたが、それが自分の懲罰用具に使われるとなると重大問題です。首を上げて先生の手元を見やると、それはめいっぱい幅広の茶色で真新しい感じの革ベルトでした。先生はひとまず自分の椅子に座り、ベルトの穴のあたりをしきりにいじりながら何か考えていました。それから何か決断したように僕の腰の上に自分の左手をギュッと押し当てて低い声で言いました。「さあいまから九十五発、ケツひっぱたく! しっかり反省しろよ」。先生がそう言って立ち上がると床に大きな影ができ、僕はその大きな影の中にすっぽりと捕らわれていました。僕のデニムの半ズボンのお尻めがけて、幅広の革ベルトが真上の方向から打ち下ろされ始めました。バシッという革の音が僕のお尻で炸裂します。買ったばかりらしいそのベルトはまだ革が硬いためか、ひどく痛い一撃でした。一発目から体をよじる僕の姿勢を直しながら、先生は左手をさらに強く僕の腰に押しつけてきました。バシッ、バシッ……。「痛っ」。あっという間にお尻全体が熱くしびれてきました。先生は十発ひっぱたくごとに軽く休憩をとり、僕のお尻へのダメージを推し量っていました。もちろん僕の方はお仕置きの姿勢のままです。結局お仕置きは二日に分けてもらえることになりましたが、回数は減らしてくれませんでした。初日に五十発ひっぱたかれ、その二日後にまた四十五発。二日目のお仕置きは、お尻にまだ痛みが残っているのでさらに悲惨、というかもう修羅場でした。その日は冬物で生地が厚めの黒のコットンの半ズボンをはいていきましたが、痛みはとても我慢できず、先生に力ずくで押さえ込まれながらお仕置きは続きました。まるで僕のお尻を使ってベルトの革を鞣そうとしているみたいだと、先生が恨めしく意地悪に思えました。もうミミズ腫れになっているはずの熱いお尻に両手を何度もひっくり返して当てながら、僕は先生の前に立たされる形でさらにお説教を受けました。化学の授業にはほとんど出席していないことなどは、その場ですべて白状させられました。

 高校三年の二学期が始まると、学校の空気はかなり受験モードになっていました。僕の属していた遊び人グループの前にも、やはり受験という現実が目の前に迫り出し、一緒に遊び回っていた頃のエネルギーは失せていました。香織はその頃、僕の親友の彼女になっていました。自分をさらけ出して好きだと言う勇気は僕にはなかったのです。ほんとうに欲しいものが素直に欲しいと言えない、がむしゃらに頭から突っ込んでいけない、それは昔からの僕でした。ヘッドスライディングしてアウトと言われたときの自分の姿ばかり考えてしまう、考えてばかりいるうちにもうどうでもいいやと思えてきてしまう。そんな自分がほんとうは嫌でたまらないくせに。僕の周りはほとんどが文学部志望でしたが、香織は進路を悩んでいました。香織はマーサ・グラハムの若い頃の舞台をビデオで見て感動し、フランスのヌーヴェル・ダンスを勉強したいと言っていました。しかしともに教師をしている両親は、もっと地道な仕事に就いてほしいようでした。僕は親切な友人のふりをして、彼女の悩みを黙って聞いてあげるという役回りでした。学校の授業は選択が多くなりました。僕は二学期から週に二回、松本先生の家に通うことを決められていました。中学の時と同じようにバスに乗って、その当時はいていたデニムやコットンの半ズボンをはいて。とはいえ中学時代とは状況が違いました。高校入学以来、怠けに怠けたツケがたまっていたからです。松本先生に言わせると、高校生ならできて当たり前のことができない。数学は定理すらろくに覚えていない。「お前は何をやっていたんだ!」。週二回、僕は叱られるために松本先生の家に通っていたようなものです。行けば必ずいろんな懲罰用具で、お尻を嫌になるほどひっぱたかれるのでした。この時期、先生から受けたお仕置きの跡が僕のお尻から消えることはありませんでした。いまの自分の学力では来年の大学受験がいかに厳しいか、それを僕に思い知らせようとしているかのようでした。その頃は椅子に座っているのが痛いのはもちろん、体を曲げたりしてもお尻に痛みが走ります。なんだか姿勢がおかしくなってしまい、叩かれた場所はお尻だけなのに、背中のほうまで痛みを感じたりしました。鏡に自分のお尻を映してよく見ると、黒ずんだところやまだ赤いところなど、ここ数週間のお仕置きの跡が生々しく残っていました。

 十一月に入る頃には、ようやく松本先生のスパルタ指導の効果が表れてきました。数学は文系の中ではマシな方になっていました。しかし、化学の方はまだ十分手が回らず、特に有機が手つかずでした。先生に怒られるのもたいてい化学のほうでした。勉強の出来がまあなんとかなってくると、僕の悪いクセ、慢心が顔を覗かせてしまう。それは中学の時と一緒でした。松本先生は「この子には、手綱を緩める暇がない」と嘆いていました。高校最後の文化祭。僕等の高校では毎年この時期には打ち上げのコンパをやります。この実態はじつは相当ひどいもので、前年など二次会にキャバレーに繰り出したクラスもありました。もともと自由というか、ほぼだらけていると言っていい都立高。受験が迫って最近はみんな自粛気味だったのでフラストレーションも溜まっていました。結局最後は夜の公園で無礼講の飲み会になりました。終電に乗り遅れ、もうこのまま公園で飲み明かしてしまおうという困った連中が、僕を含めて七、八人残りました。女の子も二人まだ残っていました。十一月に入ると、昼間は暖かくても夜になると急に冷え込んできます。そこで焚き火でもやろうと誰かが言い出しました。もう理性が冷静にはたらく人間はその場にはいません。焚き火を始めてしばらくすると、パトカーがやってきました。何の騒ぎかと思ったら、騒いでいたのは僕等のほうで、そのまま警察に連れていかれました。じつは公園だと思って焚き火をしていたその場所は、他人の敷地だったのでした。確かに広い庭で境界線がわかりにくかったとはいえ、相当に酔っていたとしか考えられません。他人の敷地で焚き火をするのは本来放火にあたる、と警察では言われました。そこそこ厳しい学校なら当然停学ものですが、この時も始末書一枚という拍子抜けするほど軽い処分ですみました。ただし僕を除いては。なぜなら僕に関しては、事の顛末が母から松本先生の耳に伝わっていたからです。僕にだけはまだ重い懲罰がこの後残っていたのでした。「まだ生活指導までやらせる気か。世話ばかり焼かせやがって!」。やっと少しずつよくなっていた僕への心証は、もう台無しでした。

 十一月中旬の日曜日。その日は先生の家には誰もいなかったので、お仕置きは一階のリビングで始められました。二人掛けのレザーのソファの左側に、まず松本先生が座りました。「先生、どうすればいいんですか?」。僕が消え入りそうな声で尋ねると、「ほら、ここに早く来いよ!」と先生は二人掛けのソファの右側の背もたれを指さして言いました。お尻を上に向けてその背もたれのところで腹這いになれということです。僕は覚悟を決めてソファの座面に両膝をつき、背もたれの上のところにベルトのあたりを乗せて、両手はソファの裏側の床に着きました。先生は僕のデニムの半ズボンの両脇をぐっとつかんで持ち上げ、お尻が右側のソファの背のちょうど真ん中にくるように体の位置を修正しました。そしてもっと前に体を乗り出させて床のずっと前方に両手をつかせ直しました。それから僕の両膝をソファにめり込むくらいまで深く曲げさせて、開いていた両脚をつま先まで着くように丁寧に閉じながら揃えました。やがて先生が振り上げたのは、先が二つに分かれた正方形に近い四角形で黒光りした革の鞭でした。先生は夏休みの終わりにイギリスにいっていて、帰ってきて初めてのお仕置きに使われたのがその鞭でした。純粋な鞭でお尻をひっぱたかれるのは初めてだったので、とてもショックを受けたものです。後から知りましたがこれはトォーズという子供の懲罰用の鞭で、お尻に痛みを与えるために作られた鞭ですから当然跳び上がるほどに痛いです。九月の頃には真っさらだったその革の鞭は、もう使い込まれたような光沢やしなやかさを湛えていました。二十発くらいその鞭で半ズボンのお尻をひっぱたかれました。ピシッという革鞭特有の部屋中によく響く音。しなるように食い込んでくる鈍い痛み。先生は右に左にと鞭を繰り出す位置を変え、お尻全体に満遍なくダメージを与えようとしているかのようでした。息つく間もなく今度は二階の書斎に連れていかれ、化学の有機分野の小テストをさせられました。僕がまだ有機の勉強に手をつけていないことを知っているくせに。遊び呆けている場合か、と言いたかったのでしょう。先生はテストができていないことを確認すると、今度は僕に出窓のところに両手をつかせて、パドルで真後ろから十発。今度は硬い木の音とともに、全く違う種類の痛みがお尻全体をしっかりと捕らえました。やっぱりパドルは痛いです。中三の時、先生との約束を破って、初めてこのパドルでお尻をひっぱたかれた時のことを思い出しました。僕はやっと目が覚めた気がしました。浮かれている場合じゃないという自分の立場を思い知らされ、この日を境にまた受験勉強に身を入れ始めました。先生からキツイお仕置きを貰わないと、僕はいまだに真面目になれないのでした。



------------------------------------------------------------------------------
<終章 最後のお仕置き〜そして後日談>

 僕が最後に松本先生にお仕置きをされたのは、高校卒業を目前にした二月のことでした。国立大学の受験日が間近に迫っていました。この頃もう授業はなかったので、理系科目の総仕上げのつもりで先生の家に通いました。成績がやっと安定してきたこともあり、年が明けてからはまだ一度もお仕置きされずにすんでいたのですが……。その日は松本先生に個人指導を受ける最後の日でした。先生はその日、近所の公園のあたりをランニングしてくるように僕に命じました。じつは高校受験の直前にも、僕は同じことを命令されました。それは僕に気合を入れるためでした。それに最近運動不足だろうからちょうどいいというのです。そして中学のときと同じように、僕はショートパンツ姿で走らされる羽目になりました。先生の家で白のトレーナーに黒のコットンのショートパンツにはきかえました。その日は風が強く、とても寒い日でした。中学のときには松本先生は、僕が怠けないようにと自転車で伴走してきました。その日も先生はそのつもりでいたようでしたが、雨上がりで強風でもあったため結局玄関で見送ることになりました。僕はとりあえず先生の目が届かないところまでは一生懸命走りました。真冬にこんな格好で走らされるなんて寒いし、恥ずかしいし……。先生の家からは死角になる公園の木々の裏手にさしかかったとき、僕は走るのをやめました。これ以上やってられない。僕はその場でしゃがみ込みました。僕の太腿はもうすっかり冷え切っていました。ハイソックスをめいっぱいひっぱり上げましたが、膝の下までしか届きませんでした。僕は辺りで少し時間をつぶしてから引き返すことにしました。そしていかにも全速力で走ってきたふりをして、先生の家に飛び込みました。「お、早いな」とちょっとびっくりしている先生の前で、僕はハアハアと大げさに息をつきました。先生はすぐに僕の靴を見ました。それから僕の顔を見ていいました。「先生が陸上部の顧問だったのを忘れたのか? 下手な演技はよせ」「……」「おまえ、たばこ吸ってきたな」。じつは僕は寒さと時間を紛らわすため、つい公園のところで一服してしまったのでした。「よしっ、少し気合を入れてやる」。僕は松本先生に、そのままリビングルームに連れていかれました。

 僕は長いソファの横の肘掛けの上にうつ伏せに乗せられ、頭からソファのクッションに突っ込むような格好になりました。ショートパンツのお尻は肘掛けの真上で天井を向かされ、そしてまだ冷たい太腿に椅子のレザーがピタッと張り付きました。松本先生は僕の腰の上をぐっと押さえつけて、平手で僕のお尻をひっぱたき始めました。「今日はケツ百ぺただ! 覚悟しろよ!」ピシャッ!……「せ、先生、嘘でしょ?」「嘘はおまえだろ、悪い子だ!」ピシャッ!……「痛ーい」「おとなしくしろ、許さんぞ!」ピシャッ、ピシャッ!……。それでも松本先生はどうにも気がおさまらないらしく、今度は自分がソファに座りました。それから自分の膝の上に僕のお尻を上向きにして乗せしっかり押さえつけると、改めてきつい平手打ちのお仕置きが始まりました。「今日は先生は怒ってるんだ!」ピシャッ!……「ご免なさーい!」「甘えるんじゃない!」ピシャッ!……「子供のくせに!」ピシャッ、ピシャッ!……。ソファの真向かいには大きなテレビがありました。そのテレビの画面を見ると、僕のお仕置きされる姿がくっきりと映っていました。僕のショートパンツのお尻の斜め上に先生の大きな手のひらが。あ、ひっぱたかれると思った瞬間にお尻をピシャッ! 僕は自分がお仕置きされているテレビの画面を不思議な気持ちで眺めていました。スイッチの切れたそのテレビでは、僕が主人公のお仕置きドラマが延々と続いていました。だんだん先生もひっぱたいている自分の手の方が痛くなってきたのかもしれません。テレビの画面を見るとときどき右手をさすったりしていましたが、その度すぐにまたお仕置きの体勢に入りました。「よしっ、いくぞ! ハーッ!」ピシャッ!……「先生、もう痛いーッ!」。僕はもう半泣きになっていました。いったいいつまでこのお仕置きドラマは続くんだろう。ほんとうにお尻を百発ひっぱたかれるんだろうか。どうやら先生はその気になってるみたい。もう恐ろしくなっていたところに、ちょうど玄関のブザーが鳴りました。下の娘さんが高校のクラブ活動から帰ってきたのでした。これで僕はやっと恐怖のお仕置きから解放されることになりました。先生の娘さんは最初僕のショートパンツから太腿の辺りを流し見た後、僕の顔を一瞬じっと見つめました。僕は思わず安堵の笑みを浮かべました。そして心の中で感謝の気持ちを込めて軽く会釈しました。すると彼女も軽く頭を下げ、事情を察したのか意味ありげにニッコリと笑いました。僕のお尻の音や先生の叱声は、玄関の外にまでよく聞こえていたはずでした。

 三月に中学のクラス会がありました。中学時代のクラスの女の子と話していると、お仕置きの話題でよく盛り上がることがあります。そのクラス会の日がそうでした。ある日優子は誰もいない理科室の隣の先生の部屋で、僕が二、三日前に松本先生にひっぱたかれたばかりのパドルを偶然見つけたといいます。優子は実際にそのパドルを手にとり、松本先生がそれで僕のお尻をひっぱたく姿を想像しながら、ちょっと素振りしてみたそうです。そこで話題は一気に、何でお尻をひっぱたかれるのが嫌かという方向にいってしまいました。実際にお仕置きされたことのない美佐江などは、想像のつかない痛みよりも恥ずかしさを問題にします。だから「あたしは絶対に平手でひっぱたかれるのがいちばんイヤ!」となりました。優子は少し考えてから「竹の物差し、かな? 小学校の授業のとき、前に出て担任の先生に……」と言ったあと、恥ずかしそうに黙り込んでしまいました。僕はこのとき、執拗に“至近距離からより広い面積を、短い間隔で正確にひっぱたかれる”パドルの嫌らしさを説明しました。すると美佐江は、無邪気さと意地悪さがないまぜになったような攻撃的な笑みを浮かべて僕を責めるのでした。「そういえば放課後の職員室で松本先生に膝の上とか乗せられてさあ、お尻ひっぱたかれてたことあるじゃない。先生に手のひらに“ハーッ”とかやられてたでしょ。それ見てて優子がさあ、『先生に“根性”入れられてるんだ』って……あたし、根性入れられたくないなあ」

 その日、アルバム委員だった千秋という子が、卒業アルバムでボツになったクラスのスナップ写真を持ってきていました。ほとんどはありふれた授業風景でしたが、中に一枚だけ、僕のドキッとする写真がありました。それは教室で松本先生が、まさに定規を思いっきり振り降ろしたお仕置きの瞬間の写真でした。その前の位置に体操着のショートパンツをはいた僕が教卓の横に両手をつかされ、お尻を突き出した格好で立たされています。先生が後ろ向きで気付かないまま、千秋が撮影したものでした。ひっぱたかれようとしているのが僕なのは、その横顔と体つきで一目瞭然でした。写真部員だった千秋には会心のスナップショットだったらしく、確かにお仕置きの現場を捕えた本物の迫力が伝わってきます。「この写真、載せたかったなあ」。千秋は本気で悔しそうにそう言うと、その写真と僕を何度も見比べました。

「いつも教室の前に出されて黒板とか教卓の横とかに手つかされてたわね。で松本先生にお尻をバシーン!……。どう? 今日はまだ先生にお尻ひっぱたかれてないの?」。昔と変わらない調子で優子。つい半月ほど前に松本先生にお仕置きされたばかりの僕は、お尻がまだその痛みをよく覚えていたのでドキッとしました。最近では学校で生徒のお尻をひっぱたくことはなくなったと言いながら、松本先生は入試に受かった僕の手を強く握ってくれました。先生の膝の上でお尻を平手打ちされているとき、嫌というほど味わわされたあの厚くて大きなゴツゴツした大人の手のひらでした。

 大人になったいまでも、何か後ろめたいことがあると、僕は夢の中で松本先生にお仕置きされます。先生の腕にしっかりと捕えられ、お尻を高く上げさせられてピシャッ、ピシャッ、ピシャッ!……。「ご免なさい。先生、もう許して!」。スパンキングのお仕置き、それは僕に封印された遠い十五の春を思い起こさせます。まるでぜんまい仕掛けの人形のように、いくら歳月を重ねても巻きもどされてそこへと帰り着いてしまう。エディプスコンプレックスと反逆心、目覚めてしまった異性への恥じらい、自我愛と自虐、そして自分の将来への暗雲、癒されがたい疎外感、それらが渾然一体となった漠たる罪の意識のようなもの。松本先生のつぶやく声がまた耳元に聞こえています。「やっぱりあいつは、ケツをひっぱたかないと駄目だ」「は、はい。先生、またお尻ですか?」。バシーン!!……。



------------------------------------------------------------------------------
<終演後のモノローグ(懲罰の日々を振り返って)>

 僕が中学校の頃、性に対する情報はこれほど巷にあふれていませんでした。「スパンキング」という言葉の裏の意味を知ったのも、僕が大人になり、先生のお仕置きから解放されて後のことです。大人が懲らしめのために子供のお尻をひっぱたいて罰する。本来そこに性的な意味合いなどないはずでした。でも心の中では、何かそう割り切れないものもありました。例えば中学校になると、女の子のお尻をひっぱたく先生はいなくなりました。もし仮に男の先生がそんなことをすれば、「あの先生、エッチ」とたちまち噂になっていたでしょう。でも男の先生が躾として男の子のお尻をひっぱたくのなら、それは自然なお仕置きで何の遠慮も要りません。それにお尻叩きのお仕置きなら、他の体罰のようにクラスの空気も暗くはなりません。むしろかえってその場は和み、明るくなると言っていいでしょう。また一罰百戒の効果も期待できます。先生にとってはじつに好都合な生徒の指導方法なのでした。お仕置きというその見せしめの儀式のためには、儀式にふさわしい生贄が必要となりました。そこで先生はターゲットとして僕に狙いを定めました。僕はクラスの、というより学年全体の叱られ役に仕立て上げられていきました。三年生全体を監督していたのは、学年主任の松本先生でした。かくしてお仕置きの絶えない三年A組は、妙にハイテンションで笑い声の絶えないクラスになりました。松本先生のお仕置きは、もう武勇伝といっていいくらい僕等の中学では有名になっていました。そして先生にいつもお仕置きされている男の子として、僕の名前も知れ渡っていました。いま思うと松本先生は“本物のスパンカー”でした。ある春の日、僕は不用意にも先生の仕掛けた罠に墜ちました。その瞬間、二人の間に何かが通じ合ってしまったのです。先生は僕のなかにスパンキーの資質を見い出したはずです。それからの先生が僕を叱るときに見せるあの自信と余裕。この子の指導方法はつかんだぞ、と言わんばかりでした。僕は見えないロープで先生に周到に縛り上げられていく感じがしました。先生は狡猾にアメとムチを操って、僕をしつけていきました。アメは怒っていても伝わってくる先生の僕への愛情でした。その後に待っていたムチは、厳しいスパンキングの嵐でした。

 少年時代にお仕置きを体験した人は多いと思います。しかしそのお仕置きは小学校入学の前後に始まり、小学校卒業を前後してだんだん消滅していくのが普通のケースでしょう。僕のお仕置き体験は中学三年生に始まり、高校卒業をもって終わります。この時間のずれは、非常に大きな意味を持つと思います。言い換えれば僕は、十代前半までは他の子供達がお仕置きされるのを見て育ち、十代後半は他の子達の前でお仕置きされて育ったわけです。大勢の視線を浴びて叱られる免疫を、温室育ちの僕は全く持ち合わせていませんでした。激しいショックとめまい。そこに思春期の複雑な感情が絡み付いていきました。そこで自分の取った選択は、少年への退行と子供らしさへの執着でした。例えば僕は先生にお仕置きされるようになってから、半ズボンをよくはくようになりました。寒い季節以外家ではいつも半ズボンでしたし、学校でも体操着のショートパンツをはいてよく過ごしました。小学校の頃などはむしろ母に無理やり半ズボンをはかされ、いやいや通学していたのです。それが高校生になってもボーイズサイズの半ズボンがまだはけることを、嬉しいと思うようになっていました(余談ですが、いまでもまだはけています)。デニムの半ズボンをはいて先生の前でお尻を突き出したときのことを、いまでもよく覚えています。体を前に曲げると太腿の付け根のあたりに、半ズボンの裾が食い込む感じがします。またあんまり深く曲げると逆に裾の後ろ側の方はめくれてお尻が見えてしまう気がして、出窓などに両手をつく前に懸命に短い半ズボンの裾をひっぱっていた思い出があります。

 僕の願いは、「お仕置き」をテーマにした少年のドキュメンタリーを創作することでした。僕は大人と少年との間の埋めることのできない意識のずれにこだわりたかったのです。大人は大人の立場から少年を成長途上の存在とみなします。その子の将来のために、あえて一時的に苦痛や恥辱を与えて懲らしめようとします。「男の子なんだから、お尻の体罰ぐらい我慢しなさい」。それが周りの大人たちの受け止め方でした。しかし少年にとって、大人になったときの自分など遠い夢の世界。時は歯ぎしりしたくなるほどゆっくりとしか進んでくれません。いま、この場所でお仕置きされるかどうかが、天国と地獄の分かれ道なのです。地獄行きのクジを引いたところから、少年の物語は始まります。気がつくと、周りの景色は全く違って見えます。少年のお尻にはくっきりと焼き印が押されています。少年はその日から、いやでもその焼き印と向き合って生きていかなければなりません。少年の心は揺れ動きます。大人は判ってくれない。でも大人が自分に注いでくれている押し付けがましいほどの愛情。その愛を裏切るわけにはいかない。そこは窮屈だけど、妙に居心地のいい場所。やがて少年は、この焼き印を押した主人を主人として認め、服従していく道を選びます。

 人の記憶とは不確かなものです。一つの出来事もそれぞれの人の心の中で年月を経て変容、というより熟成していくと言った方がいいかもしれません。一つの出来事を十人が体験、目撃すれば、やがて十通りの真実のストーリーが生まれると言ってもいいと思います。もしクラスメートの誰かが、あるいは松本先生自身がこの手記を読んだとしたらどんな感想を持つだろうか。あ、そんなこともあったかしら、あったあった、ぐらいの反応が関の山でしょう。でもこれらのエピソード一つ一つは僕の心の印画紙に焼き付いた鮮明なスナップショットであり、逃れることのできない僕のバックグラウンドなのです。執筆中、これら一枚一枚のスナップショットをタイムカプセルから取り出し、眺め直してみて、僕の胸は激しく高鳴りました。思春期という感度最高の時期に、僕はなんとかけがえのない体験をしてしまったのだろう。その過去という現場にそっとうずくまり小さく震えている自分の姿を、僕はいとおしさを込めて見つめていました。変われない、いや変わる必要なんてない、無防備のままここにとどまり続けることが、自分の存在証明なのだと。

 中学時代の生徒手帳をある日めくってみたら、僕はこんな一文をそこに記していました。

「どんなに厳しくお尻をぶたれても、やっぱり僕は松本先生が好き!」







Copyright © 2008 お仕置きファイル All rights reserved.
by お仕置きファイル