お仕置きファイル



序文 春への書簡 遠い春 校庭に吹く風 闇の重さ 旅立ち 熊野の熱い夏
 

  田舎教師

  私は東海地方の、とある県立高校の2年生、あまり多くはない陸上部員だ。その日の放課後、私はハードルの練習をしていた。日暮れの校庭には秋風が吹き始め、汗ばんだ体に心地よかった。ふと校門の方向に目をやると、上級生が駆けてくる。何かあったのだろうか?
「A子、落ち着いて聞いて。お母さんがさっき交通事故に遭って、緊急入院したんだって。門のところに病院の人が」
「交通事故?」
 私は驚いて校門めがけて走った。そこには見覚えのある黒のワゴン車が止まっていた。小学校から中学にかけて、習字やそろばんを習っていた塾の先生の車だ。あれ? 病院の人じゃなくて塾の先生じゃん。まあそんなこと、どうでもいいや。
「A子、すぐ車に乗れ。おれが病院に連れてくから」
 先生はハンドルに片手をかけたまま運転席のドアを開けると、私の方に向かって叫んだ。塾で帰りが遅くなったとき、私はこのワゴン車で何度か家まで送ってもらったことがあった。
「先生、荷物を」
「着替えは車の中でやれ。すぐに荷物持ってこい」
 私は言われるまま更衣室に急いだ。すっかり気が動転していた。白の体操着に濃紺のブルマー姿のまま私は制服とカバンを持って走り、ワゴン車の後部に乗り込んだ。スカートはブルマーの上からはけばいいし、ジャケットは上から羽織ればいい。荒い息を弾ませていると、先生は車を急発進させた。
「先生、母の容態は」
「あまり心配するな。命には別条ない」
 私は先生の言葉を聞いて、ほっとして一瞬体の力が抜けた。車が学校のそばの人けのない公園にさしかかったとき、先生は急ブレーキをかけた。
「A子、すまないが座席の上の先生の携帯、取ってくれないか?」
 私は言われるままに捜したが、見つからない。
「座席の下に落ちてるかもしれない」
 私は制服とカバンを座席に置いて、四つん這いになって床の上を捜した。
「先生、ないよ」
 先生は運転席を降りると、後部の私の背中側のほうのドアを開けた。一緒に捜すつもりなのだろうと思った。そのときだった。
「おとなしくしろ、頼む。おとなしくすれば危害は加えない」
 先生は震える声でそう言った。振り向いた瞬間、先生の右手に光るナイフが見えた。
「先生、……母は?」
「あれはウソだ」
 先生はドアを閉めた。右手で私の首筋にナイフを当てたまま、座席の奥に置かれていた黒い袋から長い綿のロープを取り出した。そのロープの束を左手で掴むと、先生は私の眼をじっと見た。私は何の抵抗もせずに、このまま先生に縛られてもいいという気になった。
 私は混乱していた。母の交通事故、それがウソだとわかると、信頼していた先生にナイフを押し当てられ、いま縛られようとしている。これには何かきっと深い事情があるんだ、そう思いたかった。気持ちの整理がつかないままの私の両肘を先生は背中で直角に曲げさせ、ロープで手首をきつく巻いた。白のロープは私の白い体操着の胸の周りに巻かれ始めた。
「先生、キツイ」
「頼む、我慢してくれ」
 先生は私をぐるぐる巻きに縛り上げると、さらに力を込めてロープの両端を結わえ付けた。それから運転席に戻り、車を再び発進させた。

 車は塾の方向に向かっていた。昔バスでよく通った見覚えのある道だった。先生はバックミラーに時折目を走らせ、私の様子を確認していた。私は座席の真ん中で、上半身を縛り上げられたまま座っていた。
「先生、なぜ?」
 先生は少し黙っていた。
「一晩だけだ。明日は解放してやる」
 これ以上尋ねてもムダだと思った。車はやがて山道を上り、郊外の先生の一軒家に向かった。そこは先生の塾と住居を兼ねていた。近くをバス通りが走っているものの、市街地からはかなりの距離がある。先生の家の駐車場に着いたとき、もう日は山の向こうに沈んでいた。家の後ろ側は雑木林で、近所には数軒の民家があるだけだった。
 先生は車から降りると家の中に入った。すぐに部屋に明かりが灯り、しばらくするとまた出てきた。先生は後部のドアを開けて、私を仰向けに抱き上げて運び出そうとした。大柄な先生にとっては、40キロそこそこの私は子供のようなものだった。縛られたままの私を軽々と抱き上げると、先生は一番奥の部屋の板敷きの床の上に私を仰向けのまま寝かせた。
「先生、縄をほどいて」
「いや、それだけはダメだ。おれはこれから出かけなきゃならない。お前がいい子にしててくれる保証はないからな」
 先生はまた何本かのロープを持ってきた。そのうちの太い一本を天井の梁に渡して、私を縛っている綿のロープの背中の部分とを結んだ。ロープが短いので、私は立ち姿になった。今度は短めのロープで私の足首をハイソックスの上から縛り始めた。さらにもう一本ロープを取り出すと、私の両臑を縛り頑丈そうなテーブルの脚の一つに繋いだ。ここまでしなくても……私は悲しい気持ちになった。それでもまだ終わらない。先生は私の口にティッシュをいっぱいに詰め込むと、手拭いの真ん中に玉をつくって猿轡にして噛ませた。体操着ブルマー姿のまま上から下まできつく拘束されている私に一瞥をくれると、先生は無言で出ていった。

 先生はなかなか帰ってはこなかった。初秋とはいえ山間部の夜は冷え込む。とくにむき出しの両脚が冷たくなってきた。ロープをきつく巻かれた手首や胸の周りはしびれ始めていたが、指先だけはまだ自由に動かすことができた。
 先生がいなくなって、私は冷静さを必死に取り戻そうとした。思えば母の交通事故を突然告げられ、信頼してきた先生にいまこうして手足を縛り上げられて監禁されている。なぜ? 先生は悪い人じゃない。私の確信はまだ揺らいではいなかった。子供には、大人の優しさは直感的にわかるものだ。小学校から9年間習字を習い、家の商売の手伝いにとそろばんを習った。誰に言われたわけでもない、自分の意思で通ったのだ。なぜこんなことになるの? 私は必死に考えた。
 先生は十何年か前、この地にやってきて塾を開いた。ここはよそ者に対して閉鎖的な田舎だ。とくに先生の風貌が悪い噂を呼んだ。白髪交じりの長髪に無精髭、作務衣を普段着にしている。それに先生は自分の過去をあまり語りたがらなかった。事業に失敗して関東から出てきたと一応言っていたが、ヤクザ者ではないかと。組関係者とトラブったらしいと言い出す人までいた。
 それでも先生の塾には生徒が集まってきた。下は小学生の男女から近所の主婦、定年退職した男の人まで。何か惹きつけるものがなければ、こんな郊外でよそ者の開いた塾が続くはずはなかった。そして意外にもと言うべきか、先生は女の子の信頼を集めた。私を含め皆自分の意思で集まってきたのだ。
 ふと、私はあることに思い至った。先生の塾はそこそこ流行ってはいたが、お金にはいつも困っていたらしいということを。先生は2度ばかりわが家で父と話し込んでいたことがあった。それはおよそ和やかなものではなく、父の怒鳴り声さえ聞こえてくるものだった。先生が帰ったあとも、父は怒りを露わにしていた。父はその訳を話さなかったが、お金が絡んだ話のようだった。うちの一族はこの近辺に多くの土地を持っていたし、商売もうまくいっていてお金に困るような家ではなかった。その父が塾の先生を怒鳴りつけるというのだから、子供心に話の内容は想像がついた。
 先生は、明日になれば私を解放してくれると言う。私の知らないところで何か交渉のようなことが行われていて、先生はそのために出ていったのかも。もしかして、身代金? 私はひどく悲しくなった。私は父が好きだけれど、先生も好きだ。たとえ今でも。その2人がお金のことで争い、その結果私がこうして縛られて監禁されているの? 辛い。涙が溢れてきて、その冷たい滴が私の太股に何粒か落ちた。
 先生は夜遅くに帰ってきた。ひどく疲れて見えた。先生は天井の梁とテーブルの脚に繋いでいた2本のロープをほどいた。それから猿轡をはずされ、水を飲んだ。手足のロープはほどいてくれなかった。
「先生」
 私にはいろんな思いが込み上げていたが、言葉にはならなかった。2度の借金を断られ、プライドを傷つけられて修羅と化した先生に、かける言葉がどうしても見つからない。
「おれは悪人だ。手足のロープはほどいてやらないぞ」
 先生はそう言うと板敷きの床に毛布を広げ、私を抱き上げてその上に仰向けにそっと寝かせた。それからもう一枚の半分に折り畳まれた毛布をブルマーからむき出しになった私の両脚に載せ、それを広げて肩までかけてくれた。

 私は心身ともに疲れ切っていた。手足を縛り上げられたまま、浅い夢を見て朝を迎えた。悪夢の続きが待っていた。その日は午前中、塾の授業が組まれていた。
「お前に騒がれると、まずいんでな」
 先生は毛布をはぎ取ると私をまた梁から吊し、両脚をテーブルの脚に繋ぎ、手拭いの猿轡を噛ませた。昨日と同じ格好にさせられたのだ。薄い壁一枚を隔てて、先生は慌ただしく授業の準備をしているようだった。ほどなく生徒達が集まってくる気配がした。
「先生、おはよう」 
 小学生くらいの男の子の声だ。
「よ、おはよう。元気がいいな」
 先生が明るい声で応えている。
「先生、今日もよろしくお願いします」
 男の子の母親だろうか。
「先生、おはようございます」
 野太い男性の声がした。中年くらいかな。私が通っていた頃と変わらない、和やかな授業風景が目に浮かぶ。それに引き比べ、いまの自分の姿が切ない。
「うん、ずいぶんうまくなったぞ」
「先生のおかげですよ」
 先生と男の子の母親の明るい会話がはずんでいる。でもそれは、壁の向こう側の世界。壁のこちら側の私は、体操着ブルマー姿で後ろ手に梁からロープで吊され、猿轡で声さえ発することができない。
 やがて授業を終えた生徒達は、何事もなかったかのように帰っていく。
「先生、ありがとうございました」
「また来週な」
「はい」
 男の子の声がしたあと、急に静かになった。みんな帰ってしまったのだ。私一人を残して。

 人の気配がしなくなってから何時間が過ぎただろう。玄関の戸が開く音がした。また外出していた先生が戻ってきたようだった。先生は大きな足音をたてながら、私の監禁部屋のドアを乱暴に開けた。
「お前の縄をほどいてやることはできなくなった。恨むなら父親を恨め。当分そうしていろ」
 眉間に皺を寄せながら、先生は怒りに震える口調でそう言った。きっと交渉が暗唱に乗り上げたのだ。もう先生の修羅の顔は見たくない。私の子供の頃の優しかった先生に戻ってほしい。私はなんとか自分の気持ちを伝えたかったが、意地悪な猿轡が邪魔をする。先生にはうめいているように見えるだけだった。
 先生は私の目の前でタバコに火をつけると、うつむいてしばし考え事をしていた。それから立ち上がって私の脚を少し見つめ、それから私の眼をじっと見て言った。
「前にも言ったが、お前には何の恨みもない」
 先生はまだ何か言い足りなそうだったが、ドアを閉めて出ていった。また家の中がシーンとなった。今朝からずーっと立ち姿のまま梁から吊されている。せめて横になりたい。午後の日差しに太股の汗が光って見えた。

 2日目の夜を迎えていた。脱水症状なのだろうか、太股のあたりが痙攣を起こす。しばらくすると、少しずつ意識が薄れ始めた。このまま死んでいくのだろうか。
 そのとき、玄関に人の気配がした。話し声がする。一人ではないらしい。続いてドアを蹴破るような大きな音がした。そして監禁部屋のドアが開くと、そこに立っていたのは婦警さんだった。婦警さんは体操着姿で梁から吊された私の姿を発見すると、一瞬驚いて立ちすくんだ。それから駆け寄ってきて、まず猿轡をはずしてくれた。
「大丈夫?」
 私は大きくうなずいた。男性の警察官が足首のロープをほどいてくれ、それから婦警さんが手首と胸のロープをほどいてくれた。
「担架、担架!」
 男性の警察官が叫んでいる。私は婦警さんに言った。
「大丈夫。歩けます」
 婦警さんは優しく微笑んだ。
「寒いでしょ?」
 私は頭からすっぽりと毛布を被せられる格好で婦警さんに抱かれ、周りを男性警察官に取り巻かれて玄関先の救急車に乗り込んだ。報道のカメラらしいフラッシュが光り、あたりは騒然としていた。
 婦警さんが私の両脚に毛布をかけてくれ、私は部活に着てきた制服のジャケットを羽織った。救急車が走り出した。
「本人、思ったより元気です。意識もしっかりしてます」
 婦警さんが携帯で話していた。私は気になっていたことを婦警さんに聞いた。
「先生は?」
「大丈夫、心配しないで。もうすぐ逮捕されるから」
 逮捕という言葉が、私にはなにかピンとこなかった。確かに凶悪犯ということになるのかなあ、私はぼんやりした頭でそんなことを考えた。

 先生逮捕のニュースはその夜、病院のベッドで聞いた。市街地のパチンコ屋から出てくるところを発見されたらしい。それはもう全国ニュースになっていたようだった。看護師さんたちは皆優しかった。私もやっとブルマーと体操着を脱ぐことができた。でも何か、心は晴れない。私は看護師さんに言った。
「先生、どうなるんですか?」
「あなたはそんなこと、心配しなくていいの」
「刑務所に入るんですか?」
 看護師さんは少し戸惑っていた。
「それは裁判所が決めることだわ。ともかくゆっくり休みなさい」
 両親も駆けつけてきた。私の顔を見るなり、母は涙が止まらなくなった。

 私は数日で退院することになった。
「お父さん、もう明日、退院していいって」
「よかったな。学校は、無理しなくていい。A子の好きなようにしていいんだ」
 父の気遣いはわかった。狭い田舎町に降ってわいたような事件、いろんな噂が飛び交ったに違いない。
「大丈夫、あたし、来週から学校に行くよ。お友達も見舞いに来てくれたし」
「そうか」
 父はほっとしたような、なんとも嬉しそうな顔をした。先生は県警で取り調べを受けていた。両親も、誰もがその話題には触れようとしなかった。

 先生は起訴され、一審で重い懲役刑が言い渡された。現在、高裁で控訴審が行われている。







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