お仕置きファイル



序文 春への書簡 遠い春 校庭に吹く風 闇の重さ 旅立ち 熊野の熱い夏
 

  大町ルートは生きている

大町ルート。別名を拉致ルートと言う。千葉県海上町から主に3つのルートが日本海沿岸にまで延びている。このかつての物流ルートに沿って、北朝鮮の拉致が疑われている特定失踪者が集中している。拉致は実際には60年代初頭に始まり、その被害者の数はいまいわれているものとは桁が違うという説が有力である。
*
「一緒に冷たいの、決めない?」byカズキ
 私は迂闊にも、ネットの掲示板で見たこの書き込みに反応してしまった。私は19歳のニートだ。高校の頃はちょっと太めで、それがコンプレックスになった。やがて引きこもりに。クスリに手を出すようになったのは痩せるためだ。でもまだ覚醒剤には手を出していない。
 クスリのお陰かはわからないけど、いまでは痩せてミニスカートもショートパンツもはけるようになった。そろそろ引きこもりも卒業しなきゃとは思っている。私は好奇心に駆られてカズキにメールを打った。一度だけなら。わたしがバカだった。

 カズキとは亀戸の駅前で待ち合わせをした。夜の7時くらい。ほどなくフルスモークのワンボックスカーが私の前で止まった。出てきたのは陽気なちょいワル青年といった感じ。
「カズキさん?」
「ああ、決めたいんだろ? 白いヤツ」
「うん」
 カズキはそんなに悪人には見えなかった。
「まあ乗れよ。話は車の中だ」
 私は躊躇した。でもそのために来たんだ。まさか路上でクスリを打つわけにもいかない。私はカズキにせき立てられるままに後部座席に乗った。カズキは運転席に座ると車を発進させた。わたしはそのとき、車の中の異常な様子に驚き、得体の知れない恐怖で鳥肌がたった。そこにはどうみても複数と思われる女性の痕跡があったからだ。Tシャツにジーパン、ハイヒール。なんでこんなところにあるの?
「降ろして、あたし、帰る」
「何言ってんだよ。上物だぞ、上物」
 車はスピードを上げた。飛び降りるのは無理だ。いや、心の隅に、まだクスリの誘惑に逡巡している自分がいる。
「俺はさ、ブローカーやってんだよ。オウメのカズキっていや、結構このへんでも有名なんだぜ」
「何のブローカー?」
「知りたいか? そのうちわかるさ」
 しばらく走ると、私はあることに気がついた。私たちの車を1台の車がつけてくる。やはりフルスモークのベンツだ。そのとき、カズキは車を高速に乗せようとした。
「どこ行くの? 後ろから変な車が」
「あれか? あれは俺のセンパイ達の車だよ」
 私の不安をよそに車は高速に乗った。
「なんでセンパイがついてくるの?」
「決まってるじゃねえか。お前に逃げられないようにだよ」
 こうして私は、あっけなく捕らわれの身となってしまった。

 車は中央高速を山梨方面に向けてひた走った。
「クスリの話は嘘だったの?」
「いや、嘘じゃないけどさ、お前があんまりアッサリ捕まるからさ。わざわざエサ要らねえじゃん。ハハハ」
 私は後ろを振り向いた。私たちを追いかけてくるのはあのベンツ。その後ろには真っ暗な道が続いているだけだ。やがて峠に差し掛かるとカズキは高速を降りた。車は人けのない山道で止まった。次の瞬間には真後ろでベンツが止まり、後部から2人の男がダッシュするようにして私の両隣に乗り込んできた。一人の男が私のニーハイブーツを脱がした。もう一人は私の両腕を後ろに回して背中の上の方までねじり上げた。男はそのまま私の両手首をサイザル麻のロープできつく巻いた。ブーツを脱がした男が今度は私の足首にやはり麻の短めのロープを巻き始めた。手首の方の麻縄は今度は胸の周りに幾重にも巻かれていく。一回りするたびにきつく締め上げられ、ロープは肩からお臍の上あたりまでを被っていく。
「よしっ、長いロープだったな」
 男は笑いながらそう言うと、巻き終わったロープの先を巻き始めたもう一方の先にきつく結わえ付けた。その間にもう一人が私の口に何枚ものハンカチを詰め込んだ。そしてその上から、タオルできつく猿轡を噛ませた。
「いっちょ上がりですね」
 振り向いたままその一部始終をじっと見ていたカズキが、弾んだ声で言った。
「早くアジトに行け!」
 胸縄を巻いた男が言った。
「はい」
 2人はセンパイなんかじゃない。どう見てもヤクザだ。逆らったら何をされるかわからないと思い、私は恐怖のあまりただ無抵抗で縛られていた。そして体の自由と声の自由を完全に奪われた。もうベンツはいない。東京方面に引き返したのだろうか。車はほどなく1軒の民家の前で止まった。
「コイツを納屋に放り込んで鍵かけろ」
 さっきの男がカズキに言った。
「ハイ!」
 私はカズキに両足を持って担がれ、納屋の奥に乱暴に転がされた。
「まあ俺を恨むなよ。これも仕事でやってんだ。俺、ブローカーだって言ったよな。扱う商品はな、シャブ女に家出女、お前らだよ、ハハハ。明日の朝までそこに転がってろ」
 カズキはそう言うと納屋を閉め、鍵をかけ始めた。あたりが真っ暗になった。それに寒い。まだ3月の山裾だ。上はセーターを着ていたが、下はブーツを脱がされてデニムのショートパンツ姿。両脚がすぐに冷たくなり、震えが襲ってきた。
 一方で怖い男達が目の前から去った安心感からか、ひどい疲労感と睡魔が襲ってきた。私はどうなってしまうのだろう。このきつく巻かれたロープも猿轡も自力ではずすことは不可能だ。私は投げやりになってそのまま睡魔に身を任せた。

「おい、起きろ!」
 お尻のあたりに鈍い痛みが走り、私は目が覚めた。昨日胸縄を巻いた方の男が、私のお尻を思い切り蹴飛ばしたのだ。
「コイツ、まだ寝ぼけてますぜ。ほら」
 今度はもう一人が、お尻のもう少し下の方を蹴り上げた。私はただ転がるしかなかった。その時、カズキが入ってきた。
「コイツを母屋に運んで少し食わしてやれ。いつもと同じでいい」
 私はまたカズキに担ぎ上げられて家の中に入った。普通の民家だった。
 私は4畳半くらいの和室に運ばれ、そこで手足の縄を解かれ、猿轡をはずされた。私は黙ってロープの跡でくっきりと変色した手首や足首をさすった。カズキがパンと水を運んできた。
「食え」
 急に涙が込み上げてきて、私はパンと涙を同時にのみ込んだ。
「お前のオヤジが捜索願を出したぞ。まあムダだがな。お前の転売先教えてやろうか。海の向こうだよ」
「海外?」
 私は震える声で言った。
「中国か東南アジアか、その先は知らね。俺には関係ねえからな。ところでお前のオヤジ、メガバンクの役員じゃねえかよ。身代金吹っかけようかって俺、センパイに相談したんだけど」
「お願い、そうして!」
 私はカズキにすがるようにして言った。
「足がつくからバツだってよ。まあ海外に売っ払えば、安全確実に金が手に入るもんな」
 私はその場で号泣した。
「メソメソしてんじゃねえよ。パン食い終わったら便所に行ってこい。そしたらまたこのロープ、お前にかけるからな」
 カズキの底意地の悪い瞳が爛々と輝いていた。トイレから戻ると、待ち構えていたようにあの2人が分業体制で私の手足を、あのサイザル麻のロープで縛り始めた。休憩時間は10分もくれなかった。麻がなめしてないので、巻かれた胸のあたりがゴワゴワして痛い。両手首はまた後ろに回され、背中の高い位置に固定された。
「おねがいです。ブーツをはかせて。寒いです」
「我慢しろ。日本海はもっと寒いぞ」
 私はその言葉にゾッとした。私の口にはまた猿轡がはめられた。結局ショートパンツ姿で素足のまま縛られ、またカズキに担がれて外に出た。朝の太陽が眩しかった。
 今度は私はワンボックスカーの後部座席に寝かされた。そしてカズキが運転席に、胸縄を縛った方の男が助手席に座った。3人での出発となった。
「今日中には港まで行けますよね」
「新潟まで行けばまた土台人(※注)がいる。夜明け前にコイツ麻袋に詰め込んでボートで沖合まで運べば、北の工作船が待ってるはずだ」
「コイツはどこに売り飛ばすんですか?」
「そんなの、お前が知る必要ねえだろ!」
 男が不機嫌そうに吐き捨てた。私に逃げ出すチャンスはまったくなかった。横向きになって背中の手首を動かそうとしたが、ロープも猿轡もきつくて執拗だ。窓の外はほとんど空しか見えない。時間の感覚もない。前の2人もほとんど押し黙っている。ときどき急ブレーキで体がはずむ以外、私はすべてを諦めたようにただ横向きに体を伸ばしていた。

 車はやがてドライブインで止まった。
「お前、2人分の食いもん買ってこい」
「あいつはいいですか?」
 カズキが転がされている私をニヤついた目で見ながら言った。
「便所に行きたくなるから食わすな」
 カズキは黙ってうなずいた。ドア一つ隔てた向こう側には、娑婆の自由な世界が広がっているのに。いまの私にはどうすることもできない。
「ネエちゃん、何もがいてんだ。外に出てえのか? 可哀想になあ」
 あの男が私の頭の先から足の先までを舐めるように見ながらそう言った。

 やがて日が暮れた。そろそろ目的地が近いのだろうか。とてつもなく長かった沈黙の後に、カズキが口を開いた。
「この先っすよね。思ったより早く着きましたね」
 数秒後、カズキがブレーキを踏んだ。
「俺、先に行くからな。ネエちゃんを運んでこい。また飯食わして、5分くらい縄ほどいといてやれ。縛り上げるのは俺がやるから」
「はい」
 またたったの5分か。もう涙も出てこない。こんな罠にかかった自分が情けない。お母さん!
 休憩タイムは今朝とまったく同じだった。ただし、今度はあの男が一人で私を縛り上げた。よほど猜疑心が強いのだろう。絶対に逃げられないように、手首の縄だけは自分で縛らないと気が済まないんだと思う。麻のロープで丁寧に背中の両手首と胸をぐるぐる巻きにしてから、足首、猿轡の順で私は完全拘束された。
「よし、コイツをあの納屋へ」
「わかってます」
 その家は普通の漁師の家にしか見えない。といってもそれは表向きで、じつはこの家も土台人とかいう人のものだ。私はカズキに納屋まで運ばれた。その納屋は漁師の家らしく、一面に漁具が散乱していた。私はその漁具の隙間に転がされ、2日目の夜を迎えた。波の音がする。日本海に違いない。もう何時間かするとカズキが迎えにくる。その時、私の日本での人生が終わりを告げる。切ないし、情けない。

 波の音を聞いているうちに、少しだけ夜が白み始めた。一睡もできなかった。むき出しの両脚が冷たくて、そして得も言われぬ胸騒ぎのせいで。人の気配を感じたとき、納屋の鍵を開ける音がした。冷たい明け方の潮風が私のショートパンツの太股に当たった。
「よう、元気か? ネエちゃん」
 あの男だ。冷たい爬虫類のようなあの男が笑顔で言う。男は私の背後に回った。
「これから長旅だからな。縄が緩まねえようにしねえとな」
 男は私に言い聞かせるようにそう言うと、一度ロープをほどいてから私をさらにきつく縛り直し始めた。この男に縛られるのはもう4度目だ。両腕はまた背中の定位置で組まされ、麻縄が胸の上下を一周、また一周と巡っていく。もう抵抗する気力はない。まるで荷造りをされている感覚だった。やがてカズキが、大きな麻の袋を持ってやって来た。
「お前なあ、猿轡取り換えるからタオルと詰め物持ってこい」
「わかりました」
 長いロープで両腕と上半身を縛り終えると、今度は両足首だ。
「よし、これで完璧だな。ネエちゃん」
 男は含み笑いを浮かべて私の口を開けさせ、詰め物を吐き出させた。それから新しいハンカチを何枚も丸めて私の口に詰め込み、タオルの猿轡をきつく噛ませた。
「お前、袋被せろ。俺がコイツ詰め込むから」
「ハイ!」
 私、この麻袋に詰め込まれるの? あの男が私を背後から抱っこするようにして、その頭の上からカズキが麻袋を被せた。もう何も見えない。次の瞬間、麻袋の天と地が逆になった。
「お前、脚を折りたたんで入れろ!」
 カズキが荒っぽく私のふくらはぎのあたりを麻袋に押し込んだ。もうダメだ。麻袋の口を誰かが縛っている。
「しっかり縛れよ。大事な商品なんだからな」
「わかってますって」
 麻袋の中は意外と温かかった。急に睡魔が襲ってきた。もうなるようにしかならない。自殺することすらできないのだから。カズキたちの話だと、これからボートに積み込まれ、沖合で北の船に積み替えられ、この麻袋のままどっかの港に荷揚げされるんだわ。すべて自業自得だけど、お父さん、お母さん、ほんとにごめんなさい!
「じゃあな、まあ頑張れや。俺を恨んで化けて出たりすんなよ」
 カズキがヒソヒソ声でそう言って、麻袋を軽く叩いた。とうとう私は麻袋のままボートに積み込まれたのだ。すぐにエンジンがかけられ、ボートが海の上を滑り出すのがわかった。
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※注 土台人 北朝鮮諜報機関で使用される用語。在日のうち、北朝鮮出身か肉親が北朝鮮に現存している者をいう。北の諜報機関は土台人を選定して接近し、その親族らの身の安全と引き換えに工作活動を強要する。  







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